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「私家随想録」とタイトルを付けさせて頂いたpageですが、こちらでは店主の着物や染織に関する視線を何となく文章としたものです。
そもそも、弊店HPを開設した1999年8月にはBlogと言う存在もなく、HPの中で「店主の着物に付いてのお話」を掲載したのが、このpageを始めるきっかけででした。
恐らく、着物/染織に関するお話について客観的な情報は極めて少ないかと思いますので、知識としてご参考になるものではないかとも思います。
なお、掲載記事と掲載画像とは基本的に関係がありません。掲載画像はあくまでもイメージとして捉えて下さいます様、お願い致します。
手描き京友禅

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きものと染織のお話
着物の悦び
名古屋 呉服屋
Back.No_+37.
着物の悦び
下井紬九寸名古屋帯(吉野格子)
玉那覇有公氏の本紅型九寸名古屋帯

染織の魅力を想う事があります。私は「仕事」として着物/帯の仕入れ/販売に携わっているので、染織の魅力に憑かれるよりも「収益」を上がられる経営をするべきと「誓って」いるのですが、ついつい染織の魅力に憑かれてしまう事が多々あります。
在庫としている着物/帯を、お客様に「それが何であるか」を伝えるべく、在庫とするものについては出来るだけ「知っておく」様にしているのですが、こうした姿勢が「余分な知恵」となるのでしょうか、ついつい眼が肥え、染織の魅力の深みに嵌ってしまうようなのです。

では、そんな染織の魅力とは一体なんでしょうか? 要するにどうして「嵌ったのか?」ですね。単純に申し上げれば、現在では、私に取り憑いた(笑い)染織があるとします。その染織を眼にしていて、特に苦痛ではないのです。惚れ惚れするまでは行きません(笑い)。飽きないんですね。これが、高い水準の染織であり、閃めく様に憑かれた場合は、飽きる事は考えられないとまで言えるんですね。知らない人からすると馬鹿々々しい話とされるかもしれません。

しかし、長い時間眺めていて苦痛ではないものは何も染織だけはありせん。偶然、眼に留まった空の色(東雲時の空の色など...)や美術館で見掛けた作品。積極的に「見てみよう」と言う気構えがある訳ではないのですが、眼に留まり、暫く心奪われる。何を見ているのでしょう? 多くの場合、言葉に変えられない何かを見ているようなのです。もしかしたら、無意識の間に、「惹かれる理由」を捜しているのかもしれません。
ただ、染織にしても、そうでないものにしても、産業製品的な生産物がその対象ではない事が殆どです。「産業製品には心奪われない」と言う事を直截意図しているとまでは申し上げないのですが、少なくとも長い時間見詰めている事は苦痛となるはずです。

産業製品の多くは、そのものの「価値」がとても分かりやすいという特徴があるように思います。カタログ的な解説で判断出来るべきもの。消費者に分かりやすいものであるべきだと思います。消費者に長い時間訴えなくては、価値が伝わらないものは「効率が悪い」とされるんですね。こうした産業製品の特徴は、「直ぐに理解」出来るので、長い時間眺められるべき性質とは全く存在性が異なるのだと思います。

産業製品は、ある意味、感情や感性と言った情緒的なもので補う必要のない完璧に計算され尽くした製品であるのだと思います。製造工程もその製品の目的もすべて明快にまとめられたもの。生産コストも使用目的もすべて管理されたものなのです。哲学的な表現をすれば理性で管理されるべきものなのです。ですから、その生産性には狂いや曖昧さは罪悪となります。もし、染織にこうした価値観を持ち込もうとするならば....、例えば、厳密には、縞は必ず「計画された縞」でなくてはいけないとされ、「この赤色」は必ず「シアン(C)**%、マゼンタ(M)**%、イエロー(Y)**%、黒(K)**%」で構成された「赤色」でなくていけない、とされるのです。

現代の私たちの生活環境は、こうした計算され尽くした産業製品に満ちています。ですから、こうした産業製品の特徴を否定することはナンセンスだとも私は一方で思っています。産業製品は、人の感情や感性に訴える必要はなく、期待された結果や効果を確実、且つ、安定的に提供すれさえすれば良いのです。そして、生活環境の利便性は、こうした産業製品に依ってもたらされているのは紛れもない事実なのです。

私も、そんな産業製品に囲まれて、利便性を買い続けているのですが、それとは全く、対照的なもの、感情的、情緒的なものに憑かれてしまうのです。ある種のストレスかもしれませんね。いや、そもそも、ひとは「感情的、情緒的なもの」に惹かれるべき性質を保っているのかもしれません。

着物の悦び
宮古上布着尺。灰色の宮古上布の縞は「琉球藍」

私は、商品の解説にて、しばしば、「気の遠くなる程の手間の掛かる」と言う表現を用いますが、これは、少なくとも私の利便性と効率性に満ちた生活環境を思うと、まさしく「気が変になる」とさえ言える作業を積み重ねているのです。

こうした作業が施される染織を求めるには、利便性やコスト管理を考えるべきではないのです。
敢えて、利便性を求めるならば「つくり手が求める染織の美しさ」を実現する為に最も理想的な方法を求めるべきなのです。時間や手間を掛ける事が「美」ではありません。つくり手が理想とする「型」に近づくことなのです。その理想的な「型」に至るには、つくり手は試行錯誤を繰り返しているのです。
「気が遠くなる作業」も、彼らにしてみれば「利便性」を求めた後なのかもしれませんね。

「熟練」と言う言葉が似合う職人や芸術的な作品を生み出す染織家。
彼らの作品は、産業製品と比べると、曖昧であることが多いのです。ひとの感情や感性に頼ることで、つくられるのです。
縞は測られた線の集まりではありません。縞は「そのひと」がつくった「縞」なのです。赤は「CYMK」で計算された赤ではなく、「そこに施された色彩」が「偶々赤色」をしているのかもしれません。藍は、その時、つくられた「藍」でしかないのです。いつも確実ではありません。曖昧な印象なのです。しかし、恐らく、つくり手が「その時」「その様」にした方が「綺麗」になると直感した結果なのです。
ひとの感性/感覚を基として創られたものには、再現性=二度と同じものは創り得ないものなのです。
こうした「もの」をカタログ的に解説する事は極めて難しい事ではないかと思います。紋切り型の解説をしても、その「もの」の本質を伝えている訳ではないのです。

私がある染織に惹かれた時、眼に映っているものは、そんな「人間的な曖昧さ」なのかもしれません。そして、高度な染織技術や美しい彩色に気を取られているようでも、実は、その背後には、染織に関わる「ひと」の姿を見ているのかもしれません。
「ひと」と「ひと」に相性があるのならば、「ひとが手を掛けたもの」と「私」の相性と言うものがあっても可笑しくはない筈です。相性に「理性的な判断」を持ち込むと「苦痛」になることでしょう。私が、ついつい、染織に惹かれるのは、私が「いい加減なタイプ」だからなのなんでしょうか(笑い)?


最後に。。。ちょっともうひとつのお話です。
染織に触れる際に、あまり、先入観を持ち過ぎない様にしています。この先入観とは、例えば「これは本場結城紬の100亀甲であるから極上品質である」とか、「最高の手描き友禅職人の仕事は、そうした質感であるべき」と言うものです。触れる前に、みる前から構えてしまうは、何となく良くない様な気がします。上質とされる染織は(先に諄々と申し上げた様に)、「曖昧的」であるものです。先入観や知識を盾に、染織をみると、「閃く」べきものが「閃かない」事があるのです。「閃き」がなく、取り憑いてくれないものは、どんなに「良い」と「上質」評されたものでも、「私」に取って「肩書き以上」となる事はないものなのです。

2008/02/15 update
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