こちらに掲載をさせて頂いた紬織は、槐(えんじゅ)なる植物より抽出された草木染料にて糸染めをされた手織紬。槐(えんじゅ)は、古来より"黄"を染め出す際に用いられた植物です。
この"黄"ですが、とても綺麗な色の表情を保っています。生まれながらにして"綺麗"と言う表現があれば、この"黄"は、そうした表現に近い印象を感じさせます。
植物染料染めは、時に再現性のない染色となります。植物が切り出された季節、染め出す時季と水によってその"色"に違いが出るのです。また、抽出された染料だけではなくて、染められる"対象"の素材によっても、その発色に違いが出るのです。つまり、"色"が生み出される..、"色"が生まれる環境と染められる素材によって、"色"の表情に違いが生じるのです。「同じ色は望むべきではない」のかもしれません。
"植物染め"と"黄"を想ってみると..、"黄色"の"花"を咲かす植物..、花は少なくはありません。"菜の花""菊""蒲公英""山吹""女郎花"..、どの花の色を想い浮かべても、その色は、それぞれが"表情"や"印象"を持って甦ってくるのです。"菜の花畑"を眼にした時のことを想えば、その"色"の"表情"やら"印象"などという表現が伝わりやすいかもしれません。人為的につくられた"黄色"ではない、自然から生まれた"黄"の色なのです。
こちらに掲載をさせて頂いた槐(えんじゅ)で糸染めをされた紬織ですが..、野に咲き乱れる"黄"の花園の如き印象を伝えています。こうした色は、手掛けた"ひと"の強い意識があって着物の色となるようです。この紬織の制作者は、着物となる絹糸そのものとその絹糸を染める植物染めに対して強い意識をもっています。「着物として着られるべきもの」として絹糸(座繰糸)を制作し、どんな着物よりも美しい着物をつくるべく植物を原料とした糸染めに徹しているのです。
座繰糸を使い平織にて織られた紬織は、無撚糸である真綿糸で織られた紬織と比べると平面的な印象となるのが一般的です。しかし、この制作者の紬織は、平面的ではないのです。真綿糸や玉糸のような不均一性の高い糸だけで織られた素朴的な印象ある紬織と比べて、着心地や扱いの良さが求められたこの紬織物とは、素材感そのものに違いがあるのです。柔らかく、軽く
、粘りある..、素材感。無骨ではなく、端正なのかもしれません。しかし、何もかも整っているのではないのです。"ひと=職人"が選び、誂えた絹糸から織られた"端正"な織物なのです。ですから、素朴でもなく、平面的でもないのです。
この紬織..、芝崎氏が制作する紬織には、座繰糸特有の光沢が、草木の色の中に、感じられます。嫌な光沢ではありません。紬織でありながら、"感じの良い自然の響き"のような光沢です。この槐(えんじゅ)の紬織ですが、まるで"花"の色そのものを着ているような印象となるかもしれません。特有の光沢もまた、この"黄"の印象と溶け合いながら、"品位"のような印象を想わせてくれます。
植物染めの手織紬..、数多くある訳ではありませんが、珍しい織物ではありません。
でも、こうした植物の色を、織物の表情として想わせてくれる紬織は、絶対的に少ないのです。
そうそう..、この紬織ですが無地織なのですが、お召しになる方の趣向次第で数多の楽しみ方が出来る筈です。素材と色が絶対的に優れているのですから..。 |