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「私家随想録」とタイトルを付けさせて頂いたpageですが、こちらでは店主の着物や染織に関する視線を何となく文章としたものです。
そもそも、弊店HPを開設した1999年8月にはBlogと言う存在もなく、HPの中で「店主の着物に付いてのお話」を掲載したのが、このpageを始めるきっかけででした。
恐らく、着物/染織に関するお話について客観的な情報は極めて少ないかと思いますので、知識としてご参考になるものではないかとも思います。
なお、掲載記事と掲載画像とは基本的に関係がありません。掲載画像はあくまでもイメージとして捉えて下さいます様、お願い致します。
手描き京友禅

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きものと染織のお話
着物の悦び
名古屋 呉服屋
着物の悦び
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掲載品:西陣織袋帯

織人.染人、そして、染織家なる「ひと」が手掛ける着物.帯を主に扱う...、そんな気持ちをもって「お品」を求めています。すると、時折、「ご主人は機屋さん直接行かれたり、染織家の方々とお逢いになったりされておられる様ですね」と言われる事があります。
もちろん、着物.帯の制作に携わる方々とお逢いすることは少なくはありませんし、また、制作工房にお邪魔をすることもあります。
しかし、私としては、制作者に直接お逢いしたり、制作.仕事の場にお邪魔をすることは出来るだけ控える様に心掛けてもいるのです。
お客様とお話をさせて頂いていて、この様なことをお伝えすると、意外な表情をされるのですが..、その意外な表情の裏には、恐らく、私がいつもいつも職人さんや染織家の方と長話をしている様な印象があるのかもしれません。
確かに、私は人とお話をすることは嫌いではありません。「話に花が咲く」と言う言葉があるように、お話をしていて次から次へと関心興味のある話題で会話が弾むことは、意識感情や知識情報を伝えるだけの会話などよりも遥かに豊かで楽しいものです。

着物.帯の制作に携わる人。織人、染人..、職人と染織家を紹介する雑誌の記事や特集を見掛けることがあります。どの様な人が制作を手掛け、どの様な環境で仕事をしているのか..、また、どの様な道具やどの様な制作過程を経ているか..、制作と手掛ける人の、そこに流れている空気感を想うことが出来るかと思います。関心を寄せている染織作品が、どこの誰が、どの様に制作しているかを垣間見るだけでも安心感が得られるのかも知れません。
しかし、取り上げられる職人や染織家の方たちの中には、取材の申し出を受けられない方や掲載された記事を読まない方もおられるのです。
そんなタイプの職人さんにお逢いしたことがあります。取材の申し出を受けられないわけを訊くことは出来ません。ご本人が拒否されている以上の訳を訊くことは感情を害する以外の何も得られないと感じられたからです。しかし、仕事上のお話を進めていると、その「訳」は自ずと伝わってくるんです。

職人.染織家の方と仕事の依頼内容を伝えお話している際に、私の意向を言葉ではなくて、「話の感じ」で理解されるタイプの方がおられます。
そして、必要なことを必要なだけ確認するように訊き返してもくれます。


時に..、職人.作家と呼ばれる人たちの印象は硬質な印象を受けることがあるかと思います。
禁欲的であったり、無口、不器用..、そう言った印象はないわけではありませんが、一方、セールストークの巧い、軽快な口調の職人.作家も、その人柄を評価されることはあっても、「お品」「作品」そのものの印象が飛躍的に高くなることはないかと思います。

着物の悦び
紋織 草木染め手紡 綿織物北川弘繪 草木染め綿織物藍 かるかや 綿織物北川弘繪 綿織物紋織 八寸名古屋帯綿織物 草木染め手紡 綿織物
草木染め手紡綿織物の制作をされている北川弘繪さんの工房にて..、
機に掛けられていたのは紋織八寸名古屋帯

着物.帯の制作に携わる職人.作家は、「もの」の制作を手掛けています。仕事の対象が人ではなくて「もの」であるのです。そして、自らの「手」によって「もの」をこの世に生み出すのです。時に図面も設計図もない..、これまでの生業としてきた経験と勘によって、「ない」ものを「つくる」のです。頭の中で想い描かれていたものを、「お品」「作品」とするのです。
これは着物.帯を制作する職人.作家に限ることはなく、陶芸家や画家などの「もの」を制作、創造する職人.作家にも同様のことが言えるかと思います。
職人.作家は、言葉で伝えるのではないのです。手掛ける制作、創造する「もの」を通じて自身を伝えるものなのです。禁欲的で、無口、不器用とされる職人.作家たちは、言葉を手段として自身を伝えることが極めて不得手なのです。制作、創造した「もの」に自身を写すことで、自身を伝えているのです。何か訊くことがあれば、必要なことを必要なだけに留めるのです。私たちが言葉をもって伝えるものを、職人.染織家は、仕事を通じて伝えているのだと思います。

着物.帯の制作を純粋な手仕事を重ねて制作する仕事場には尊い時間が流れています。制作者自身の誇りを掛けるかのような集中力が感じられるのです。つくり出された「もの」が制作者自身を映すものでるからでしょうか..。
もし、その現場を形容するなら..、その仕事は、近代化、合理化した社会環境からすると、とても気の遠くなる仕事の連続と捉えられることでしょう。記事掲載される内容には、私たちの実生活から距離を感じる苦労が仕事として紹介されている時があります。しかし、それは彼らの仕事でもあるのです。苦労をしているから、美しいものが生み出されている訳ではないのです。時に、苦労話に心が揺れることがあります。職人.染織家の仕事場に訪れたり、直接に言葉を交わすと、その苦労が感じられます。しかし、仕事の手=質の悪い職人が幾ら苦労しても、美しいもの、良いものは生まれません。話し下手で、人付き合いが不器用でも..、言葉での説明すらおぼつかない職人.染織家でも、素晴らしい作品をつくることは良くあることなのです。いや、言葉では伝えられないものを表現されている様にも感じられることもあります。
着物.帯.染織のお話から少し離れて..、奈良時代の仏像、薬師寺の菩薩像を眼にして心揺れるのは、その美しさ=美意識によって感動を得ているからに他ならない筈です。菩薩象を手掛けた仏師や職人の顔を想像する術はないのです。あるのは1300年以上も前につくられた菩薩象そのものだけです。つくられたものそのものだけが美しさ=美意識を伝えて、私たちを感動させてくれているのです。


先に、制作者の仕事場にお邪魔をしたり、お逢いすることは控えている..、とお伝えを致しましたのは、まずはつくられた「もの」=作品を感じることを何よりとしているからです。作品から感じるられるものは、制作者の意識感情..、言葉では尽くせない美意識なのです。美しいものであればあるほど、言葉や解説は不要なのです。眼にするだけ、触れるだけでも、その質感は伝わってくるものです。苦労話と経歴紹介などは、眼のない私は眼が曇るだけで、ものが巧く伝わって来なくなるのです。
制作者の仕事場にお邪魔をしたり、お逢いするのは..、つくられたお品.作品を仕入れた後、機会とご縁があれば..、その制作者の方からお時間を分けて頂くことがあります。

2013/02/20 update
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