菊池洋守/八丈織の楽しみ術..、もう少し凝らしてみると

菊池洋守+ラフィア西陣織袋帯"余所行きのお着物"としての手織綾織である菊池洋守氏の八丈織の"きものあわせ"を更に展開してみたいと思います。

"無地"印象の着物...、その着物が織物であれ、染めの着物であれ..、ある程度"個性"ある帯を"あわせ"ると、"それなり"のコーディネイトされてしまいます。
教科書的にお話をまとめてしまえば、"それなりの.."も許容の中に入ってしまうかもしれません。

しかし...、わざわざ着物や帯の"あわせ"を想い悩みながら、楽しみを憶える訳です。"それなり"で許容される"あわせ"には"気持ちが飽和"してしまう筈です。

無地織印象でも...、最も"美しい手織"と思われる八丈織の楽しみを、"個性"を想いつつも"余所行き"な"あわせ"を挙げてみたと思います。
要するに、"余所行き"的な"あわせ"を基本として、もう少し"遊び感性"を入れてみる訳です。

掲載写真にて"あわせ"てみたのは西陣織袋帯です。

前回"あわせ"てみた名古屋帯とは同じ西陣織でも、趣が違います。
前回の西陣織には、綺麗で柔らかな印象を感じられました。そして、趣向を感じさせつつも、礼装感を漂わせてくれたのです。

ここで"あわせ"た西陣織は、"礼"を意識すると言うよりも着物と帯の"趣味/趣向"を楽しむことを目的とした西陣織なのです。

一見すると..、"丸文様"と"三角文様"、"グレイ"と"茶色"と"ベージュ"が感覚的に織り組み合わされているかの様ですが..、実は、丸文様も三角文様も、"正確"な幾何学的文様ではないのです。
一見すると"規則的"なのですが、よくみるとひとつひとつが少しづつ違う形をしているのです。もちろん、意図的に不均一にしているのです。

この織文様は、日本古来の文様ではなくて...、アフリカ/クバ族が"ラフィア椰子"を使い織り出す織物を写した文様なのです。

菊池洋守/綾織+ラフィア西陣織袋帯西陣織が写し再現された"ラフィア椰子"の織物は..、その民族的な印象から"趣味/趣向を楽しむ"西陣織の美意識を伝える織物となるのです。

"余所行き"的な織物に、こうした趣味/趣向の濃い帯地を"あわせ"ことで、"遊び心"ある"余所行き感"を表現することが出来るかと思います。
この"遊び心"は、単純に"目先が変わった"だけのものではなくて、染織に対する、または織物に対する深い理解を想い伝える"遊び心"なのです。

ちょっと"教養的""文化的"な趣味趣向を想わせる"きものあわせ"となるのではないでしょうか..

さて、この菊池洋守/綾織と西陣織袋帯のTPOですが..、

  • *ギャラリー/画廊などでの催し。
  • *美術館/博物館などの展覧会。
  • *オペラ/クラシック、歌舞伎などの舞台鑑賞。
  • *お茶会/花展などの催し。

概して..、"余所行き"でありながらも"礼"に対する意識よりもLifeStyleとかCultureを感じさせる装いとなるのです。ですから、TPOを想定しても、やはり、Cultureを想わせる"場"や"席"がふさわしいかと思います。


菊池洋守/八丈織の楽しみ術..、ちょっと余所行き感

菊池洋守 綾織 違い市松織"きものあわせ"..、今回は八丈織と称される織物を織る染織家.菊池洋守氏の綾織をテーマとして"あわせ"をご紹介致します。

まず、菊池洋守と言う染織家についてなんですが、お話をはじめると長くなるので..、また、BlogCategory/"染織家"にてあたらめてご紹介をさせて頂くことにします。

掲載させて頂いた織物は、綾織...、一般的な紬織物と比べて、とても綺麗な織物です。
右に少々大きな画像を配したのは、通常の"着物と帯のあわせ"画像では、織物としての質感が伝わらないため、敢えて掲載させて頂きました。
彩色も綺麗なんですが、綾の目の細かさと精緻さは、手織の織物としては"これ以上ない"くらいの精巧性です。

こうした八丈織/織物に近い織物として、西陣織の風通御召がありますが...、その風通御召の中でも極上品質の織物であるなら"しなやかさ"と言う点では"近い"かもしれませんが、織物としての美しさと言う美意識では、まったく別の次元の織物であるかと思います。
一言で申し上げれば、高度な織物産業の製品と、一個人の染織家の美意識が昇華した作品との違いでしょうか...。


この織物にまつわるお話はこれぐらいにして..。

こうした"綺麗な織物"は、"普段使いの紬織物"とは違います。
ご覧になった印象..、"余所行きのお着物"としてお召しになることが出来る織物です。

この織物を織物としてみるのではなくて、視点を変えて..、江戸小紋、特に三役と称される江戸小紋の中でちょっと格式ある江戸小紋の様な品格に近い捉え方をして如何でしょうか?

織物ではあるのですが、真綿糸や紬糸が使われている訳ではありませんし、絣でも縞でも格子でもありません。マットな印象ではなく、艶やかで、綺麗な印象です。
綾の目が立ってはいますが、この織物は、間違いなく"無地のお着物"として眼に映る織物です。

菊池洋守氏の"この類(無地織感覚)"の綾織に"縫紋"を入れられて"略礼"のお着物とされる方もおられる程です。

そう捉えると江戸小紋三役に近いと思われます。

菊池洋守/綾織 西陣織九寸名古屋帯そもそも、とても綺麗で、精緻な綾織のお着物です。
まずは、綺麗で、少し柔らかな余所々々しさのある帯を"あわせ"てみました。

左に掲載をさせて頂いた"あわせ"は西陣織九寸名古屋帯との"あわせ"。

着物.それが"綺麗"を印象付ける無地感覚であるため、装いのポイントは帯となります。

"礼装を想わせる帯と"あわせ"るならば、即ち"礼を意識したきものあわせ"となるでしょう..。
"洒落を感じさせる帯"と"あわせ"るならば、趣味性の香る"きものあわせ"として落ち着くかと思います。

ここでの"あわせ"は、礼装を意識した"きものあわせ"でも、趣味性の濃い"きものあわせ"でもない...、ちょっとは幅のある"余所行き感覚"の"きものあわせ"としたのです。

この西陣織の文様..、欧州の織物の文様か、遺跡に残されたモザイクをリメイクした様な文様を想わせます。
ただ、日本的ではない。かといって"洋服感性"とは全く違う。
あくまでも"着物感覚"..、綺麗で、柔らかい印象や清潔感..、そして、僅かに趣向をも想わせます。礼装感までは感じさせない。

こうした"あわせ"は、"きちんとした"感じよりも少しだけ余所々々しい感じ..、"普段"とは違う"よそいき感"の"あわせ"なのです。


さて、この菊池洋守/綾織と西陣織九寸名古屋帯のTPOですが..、

  • *食事会や同窓会などの"集い"や"宴"。
  • *ギャラリーなどでの催し。
  • *美術館/博物館などの展覧会。
  • *オペラ/クラシック、歌舞伎などの舞台鑑賞。

八丈織/着物=綾織の綺麗さが印象的な"装い"となります。

菊池洋守+西陣織九寸名古屋帯先に..、江戸小紋の三役を比較例に挙げましたが..、江戸小紋特有の"お堅い"雰囲気よりも、もう少し"柔らかい"のです。
きっと..、江戸小紋となると「江戸小紋」と言う先入観が「堅さ」を想わせるのかも知れません(それが良いところかと思います)。

この織物は、眼に映った印象が「そのもの」となるのです。
ですから、"きものあわせ"による装いの意識で「余所行き感」を調整出来るのです。


*この綾織..、あまりに細かく精緻な織ですから、ちょっと大きな画像をも入れてみました。

帯揚/帯締は、帯と着物の印象を崩さない同系彩色が無難かと思いますが、ほんの少し帯締に、帯に使われている彩色に近い色を使うのも一興かと思います。

京友禅"観世水"付下をもう少し華やいだ感じにすると..

観世水 付下有職文様/蟹牡丹文様と京友禅"観世水"付下との"あわせ"は"文化的な格調"を予感させてくれそう...、と掲載をさせて頂きました。

ただ、有職文様と上品な彩色の京友禅との"あわせ"は、"落ち着き"と言う効果をも感じさせます。
もしかすると、もう少し"華やいだ"感じを出してみたいと思う場合もあるかと思います。

要するに、着物の品位を保ちながら、DressUpを図ると言うことです。
この場合ですが、有職文様/蟹牡丹文様より華やかな帯を"あわせ"たり、帯締や帯揚にポイントを置いたりする訳です。

但し、着物にはその着物そのものが保っている空気感や雰囲気と言うものがあります。その空気感や雰囲気を"読み"取ること、そして、その着物を着て行く"場所"をも想う必要があるかと思います。

着物の"あわせ"を単純なる自己満足に留めてしまうのか..、それとも、"場所"に適わせた"あわせ"を楽しむか..、と言うことですね。
着物と帯の空気感や雰囲気、存在感をそれぞれ想い、"あわせ"を楽しむと言うことは、感性や知性のようなものを感じさせる様な気がします。

着物や帯に季節感や素材感を求めることは、装いの意識が、"外"に向いていると言うことの様な気がします。
季節を想い、場所に配慮をする...、それは着物を楽しむ意識のひとつだと思います。


お話が長くなりましたが..、さて本題です。

淡く上品な単彩印象の京友禅に、西陣織袋帯を"あわせ"てみました。

この西陣織ですが、豪華ではありませんが、きちんとした礼装感を保っています。あまり強い印象を与えないし、礼装を単純に意識した西陣織にありがちな文様ではありません。むしろ、趣向を想わせる"更紗文様"を主題とした西陣織であって...、その更紗文様を、実に巧く礼装印象に昇華させているのです。

礼装感の中に"趣向"を垣間見ることの出来る西陣織なのです。

この西陣織は、京友禅"観世水"付下に馴染んでくれているとは思いませんか?
彩色のトーンや品格の程度もよく馴染んでいると思います。
有職織物/蟹牡丹文様九寸名古屋帯との"あわせ"とは、また、違う印象が感じられるかと思います。

着物と帯..、それぞれが馴染んでいても、着物が変われば..、帯が変われば..、印象や雰囲気も変わるものです。

帯地に金糸/銀糸が織り込まれ..、袋帯となると、やはり礼装感は高まります。京友禅の保っていた品格に、どこか華やかな雰囲気が感じられる様になりました。
"落ち着いた"品格から"華やいだ品格"と印象の性格が移ろい変わったのです。



さて、この西陣織袋帯と観世水付下のTPOです。

有職文様/蟹牡丹文様と比べて、DressUpしていると捉えて..。

*新年会/賀詞交換会、入学式/卒業式、招待された慶事の"宴"、格式ある来賓としての席。
*食事会や同窓会などの"集い"や"宴"。
*茶会、花展などの催し。

要するに、"晴れの席"でもお召し頂ける"あわせ"なのですが...、あくまでも"招かれる立場"であったり、"来賓"であったりと、派手さを意識すべきではない立場となる場合が好ましい"あわせ"かと思います。

鳥巣水子さんが受け継いだもの...、残したもの...

私の花織 花絽織鳥巣水子さんと言う染織家がかつて居られました(2004年に鬼籍に入られました)。

鳥巣さんは、草木染め紬織の制作において、染織家志村ふくみ氏に師事され、九州を拠点に作品制作のみならず、後進の指導にも尽力を尽くされていました。
現在、伝統工芸会の正会員や理事に席をおいて居られる染織家の方の中にも鳥巣さんに師事された方も居られます。

また、後年、羅織にて人間国宝となった西陣織染織家北村武資氏が主宰された研究会にも参加され薄機(usuhata)をも学ばれました。

私は鳥巣水子さんの作品を残念ながら扱う機会を得ることが出来ませんでした。
すぐ目の前を通り過ぎて行ったことはあるのですが、「取り扱う」と言う"運"が私に与えられなかった様です。


鳥巣水子さんの染織作品は、とりあえず"美しい"に尽きるのです。

そして、どこの誰でもない創造性と独創性に満ちています。

染織作品、または美術工芸品であっても..、その作品のどこかには、何かの..、先人の影響が残されていることがあります。

もちろん、それは作者の初期作品にみられる傾向かも知れません。作品の完成度が高まるにつれて、過去からの影響は薄れて行くもののようです。


鳥巣水子さんの作品を眼にした時、その作品が一体何であるかを直ちに理解することが出来ませんでした。
まるで「ものを感じる感情」がその作品に吸い込まれてしまったような感覚だけが残された...、そんな感じだったのです。
それほど、感情に響く美しさを保ち、完成された美しさに満ちていたのです。

鳥巣水子さんの作品の殆どは、帯地かタペストリーです。
しかし、その染織作品には、志村ふくみ氏や北村武資氏の影響を垣間見ることはありません。
草木染めによる糸染めと花織/花絽織を駆使して作品を制作されて居られました。
どこを、どの様にみても..、作品は、余すところなく"鳥巣水子"の美意識が漲っているのです。

志村ふくみ氏は草木染め手織紬と言う分野にて大きな功績を残しています。北村武資氏は羅織と経錦の二つの分野で人間国宝に認定されています。その両氏に師事を受けた鳥巣水子氏は、間違いなく"伝統"を正確に学び、正確に伝統を継承していた筈です。

鳥巣水子さんの作品は、敢えて言えば、沖縄の花織に近いかもしれません。
しかし、近いと感じるのは、染織技法が琉球染織に倣っているかの様に止まるだけで...、作品そのものの表現手法は、やはり、どこの誰にも似ていない、鳥巣水子さん自身の表現手法のような気がするのです。


現在、鳥巣水子さんの作品は博物館/美術館の所蔵品の中で観ることしか出来ませんが、過去に求龍堂から出版された「私の花織・花絽織」には、制作された数多くの作品が精巧な撮影によって掲載されています。
この「私の花織・花絽織」を観ていても、鳥巣水子さんの染織作品を通じての美意識の高さと伝統に根ざした染織技術の高さを伺い知ることが出来ます。




鳥巣水子さんに師事された染織家の方々ですが、先にお話をさせて頂いた様に、現在では既に、その染織家の方々の中には、後進の指導をされる立場の方も居られます。

その方が誰であるかと言うお話はさておき...、鳥巣水子さんに師事され、かつ、作品性を継承しつつ、作品制作を続けて織られる染織家の方も居られるのです。

堀直子 雪の精 藍木綿花織帯伝統工芸展にて作品を出品されている染織家の方では...、恐らく、鳥巣水子さんの作品をご覧になって、惹かれた経験のある方は、こうした方々の作品を眼にされると直感的に重なってしまうかもしれませんが...、堀直子さんの作品が、制作手法、印象、表現性の点において近いのではないかと思います。

堀直子さんの藍木綿花織帯は「第55回 日本伝統工芸展」で日本工芸会会長賞を受賞されました。

この時の伝統工芸展の会場で、私はある染織家の方に「鳥巣さんの後継には堀さんが居られるじゃないですか...」と言われて、いろいろとお話をされた中で、確か..、"堀さんは、鳥巣さんの作品を実によく理解されて、またご本人の作品として表現されている"と言うようなお話をして下さった...、と記憶しています。

ただ、この堀直子さんは、寡作の染織家なのです。

とりあえず..、過去に、鳥巣水子さんの染織作品を眼の前で見過ごしてしまった経緯があるので..、どうしても心惹かれた作品をひとつだけ手元に留める"運"に恵まれました。


雪の精(yuki-no-sei)/藍木綿花織帯
「この雪の結晶の美しさは、この花織の意匠の美しさ、完成度に止まらず、藍の奥行きまでをも際立たせている...、何一つ、無駄な装飾を見出すことは出来ない」

有職文様の帯を"まとも"に捉えると...

先日、掲載をさせて頂いた草木染め手織紬+有職織物との"あわせ"なんですが、格調と感性がとても巧く馴染んだ"あわせ"かと思います。

こうした"あわせ"は、教科書的ではないので、具体的にどんな紬織と西陣織が"あわせ"られるかは、実は各論的なお話になってしまい...、言葉でこれこれとお伝えするのは難しいのです。
しかし、大切な要件としては、この"あわせ"の着物と帯、双方に対して、お召しになる方が愛情を持っている必要があるかと思います。"着物と帯のコーディネイト"が最優先されるべきではないと思います。
"着物と帯のコーディネイト"だけを意識し過ぎると、着物と帯の"あわせ"が常に固定してしまい、着物と帯の"あわせ"の楽しさが失われてしまうのです。

大切な着物と帯を想いながら、様々な"あわせ"を楽しむことが装いの悦びだと思います。


第二回は「有職文様の帯を"まとも"に捉えると...」です。

京友禅観世水模様付下+蟹牡丹文様名古屋帯今回は、人間国宝/喜多川俵二の有職織物を"一般的"に捉えて"あわせ"を試みてみました。

この有職織物ですが九寸名古屋帯なので、少々彩色や柄模様を控えた京友禅付下と"あわせ"てみました(拡大画像は*こちらです)。
この付下ですが、薄肌色の地色に対してあえて挿し色を施すことなく、真糊だけ観世水を染め描いています。

この程度の質感の付下なんですが...、数々の挿し色や大きな柄模様が染め描かれている付下や訪問着と比べてDressdowanしてみえるかもしれませんが、実際に、お着物をお召しになる回数の多い方の場合は、こうした"一歩"控えた上質で品格ある京友禅の方が"使える"場合が多いようです。

お着物は"晴れの席"で、華やかに...、と言うのであれば、やはり、こうした付下や有職文様は"一歩控えられた"感じとなるかと思います。
ただ、着物を度々お召しにある方やお洋服の代わりとしてお着物をお召しになると言う装い趣向の方には、こうした"控えられた存在"のお着物は有意であると思われる筈です。


この蟹牡丹文様自体、強い礼装感や派手さがある訳ではないのですが、この有職織物の文様が生み出す格調や趣を伴った華やかさは、とても魅力的なんです。
実は、ちょっと理屈では割り切れないことなんですが..、上品な京友禅と"あわせ"ると..、どこか理知的、文化的な空気感を漂わせるんですね。歴史と言うか、純和風的と言うか..。

喜多川俵二氏の蟹牡丹文様は、着物の空気感を巧く演出する帯なのです。

草木染め手織紬を"余所行き"とするし、
上品な京友禅に文化的格調を香らせてくれています。

さて、この有職文様/蟹牡丹文と観世水付下のTPOですが..、
*食事会や同窓会などの"集い"や"宴"。
*茶会、花展などの催し。
お洋服に置き換えて捉えると、上品なスーツ/2pcsと言ったところかも知れません。

観世水...、能楽.観世宗家観世太夫が定式文様に使用したことから銘され文様。尾形光琳も自身の衣装にこの"観世水"を取り入れていた程に好んでいたとされます。

有職文様と手織紬...、あるいは、格調と感性。

蟹牡丹錦とばら染めの手織紬きものあわせ"...、と言うBlogCategoryをはじめてみました。

そもそも、先日、少しだけご遠方のお客様とお電話にてお話をしていたところ「お着物と帯のコーディネイトを掲載したら?」とご提案を頂きました。

弊店のHPではお品が..、"お着物"も"帯"も単体で掲載しています。

掲載されたお着物/帯そのものに魅力を感じても、さて、どの様に"あわせる"のかとなると..、この"あわせ"と言うものは、お召しなる方や呉服屋さんなどの主観的な"お好み""趣向"ではあるのですが、やはり、「Marutoyaさんで扱っているお着物や帯は、Marutoyaさんのお好みの"あわせ"」としては「どうなの?」と言うご意見もあるかと思います。

そうしたご意見に対してお応えすべく、このBlogCategoryをつくってみた訳です。

この"きものあわせ"ですが、まぁまぁ常識的な"あわせ"が出来れば良いのですが..、"えっ"と思ってしまう"あわせ"もあるかもしれません。
そこは"主観""趣向""感性"と言う曖昧な言い訳でお許し下さればと思います。

俗に言われている様な"着物と帯の取り合わせ"を理解することは大切かも知れませんが、それは"理解"の範囲内として心に留め置いて...、直感的な"あわせ"の方が、感覚的なる豊かさを感じる"あわせ"となる様な気がします。そして、"感覚的なる豊かさ"から着物の楽しみや悦びが生まれるのではないでしょうか..。

不定期ではありますが、お楽しみ頂ければと思います。



"きものあわせ"..、第一回目は"有職文様と手織紬"の"あわせ"です。

掲載をさせて頂いた西陣織は、喜多川俵二氏が手掛けた有職文様の帯地。銘は"蟹牡丹錦文"。
倭錦(yamatonishiki)と言う紋織物です。

そもそも、有職文様とは..、「公卿階級の装束、装飾品、建築、輿車などに用いられた伝統的文様」とされています。
有職文様は、古より受け継がれて来た格式高き文様とも言えます。

そして、手織紬。
この手織紬、特に著名な染織家が手掛けたものではありません。
また、所謂、機屋さんの生産品でもありません。
織物ひとつで何十年と生計を立てて来られた個人の織人の手織紬です。

織糸のすべては"ばら"で染められています。濃淡数多に染められた数々の織糸を、この織人の感性と感覚、経験だけで織り上げて行くのです。無地織でありながら無地以上の何かを伝えてくれる織物となるのです。
弊店では"ばら染めの手織紬"なんて称しています。


蟹牡丹錦とばら染めの手織紬さて..、格式高き文様が織り込まれた西陣織と草木染め手織紬を"あわせる"と言うのは、ナンセンスと言われるかも知れません。

ここでの"あわせ"の要点は、無地織紬..、特に、質感の高い無地織紬のDress-upを試みると言う点にあります。

通常、無地織紬であるならば、型絵染め帯や紬織帯、西陣織ならば洒落帯と称される帯地が挙げられるところでしょう。

ここで敢えて、有職文様、それも人間国宝である喜多川俵二の"蟹牡丹錦文"をあわせるのは、そもそも紬織物が保っている"普段着意識"を通り越して、無地織紬を"余所行きの特別なお着物"とするためなのです。

ここでちょっと注意しなくてはならないのは...、無地織ならどんな紬織でも、"蟹牡丹錦文"とあわせられるか、と言うと"必ずしもあいません"。
"ばら染め"の手織紬にこめられた感性(無地織でありながら無地以上の何かを伝える感性)と、蟹牡丹錦文の豊かさや格調とが感覚的に巧く繋がっているのです。

*柿色の地色と図案化された牡丹文様は、格調を想わせながらもどこか趣を憶えさせてくれます。その趣が、手織紬の織人の感性を許容しているのかもしれません。

無地織手織紬を"余所行き"の着物として楽しむ。
有職文様の西陣織を"趣味趣向"の帯として楽しむ。

余談になりますが、北村武資氏の経錦袋帯も、紬織のお着物に馴染む場合があります。
この"錦織"と言う西陣織の紋織物の質感は、どうやら現代的な織物に馴染むような感じがするんですね。

最後に..、"ばら染め"の手織紬を掲載致しましたが、本場結城紬や質感の高い手織の無地織紬なども、錦織が施された有職文様の西陣織と馴染んでくれることがあります。


この有職文様/蟹牡丹文と草木染め手織紬のTPOですが..、
*食事会や同窓会などの"集い"や"宴"。
*美術館やギャラリーでの展示会。

垢抜けした、都会的な"きものあわせ"となります。


ご参考までに喜多川俵二氏の有職織物/蟹牡丹錦文に関する資料は*こちらにあります。

ついつい魅入ってしまいませんか?

更紗文様型摺り友禅染め小紋ちょっと不思議な小紋です。

更紗文様が染められた小紋です。
摺り友禅と言って、小紋型を染め重ねて彩色/柄模様を表現する古典的な染色手法が使われています。

彩色はほぼ単彩、柄模様は同じ更紗がひたすら繰り返されているだけです。

この小紋なんですが、眼にしていても不思議なくらいに"飽きない"のです。眼にしていても、自分でどこをみているか、ついつい忘れてしまいそうです。
どこを見ても同じなんですから..。
でも、飽きることなく見てしまうし、むしろ、感情が惹き込まれそうになりそうです。


この更紗の細かい部分と「"その"細かい部分」を部分としている更紗文様..、そして、その更紗が繰り返されること感じられる印象...、それらの印象がすべて同じか、もしくは同じに近いんですね。
具体的には近いけれども、感情の中では"等しい"印象となっているのだと思います。

もちろん、職人の手染めで染められているため、染められた彩色も文様も、"ひと"の痕跡が感じられます。良い意味で"味があって"、反対に言えば"曖昧"な感じがあります。
印刷やプリントでは絶対に伝えられない柔らかさな質感です。

この単彩にして、単調なる小紋が眼にしていても飽きないのは...、細部の文様と全体の文様、そして細部の彩色印象と全体の彩色印象..、これらが、それぞれ全く同じではないけれども、同じ感情を想わせる印象を伝えているからなのです。

よく似た彩色と同じ文様が繰り返される文様は、着物や帯の文様には少なくはありません。古典的な文様の中では、時折、見掛けることがあります。
こうした文様は、眼にしていても、実は気持ちが安定するのかも知れませんね。

ほぼ単彩、同じ更紗文様の繰り返しでありながら、細かな柄模様にまで、ついつい魅入ってしまう..、そんな不思議な小紋です。

もちろん、ご覧になってお気付きかもしれませんが、この更紗文様そのものも、どこかエキゾチックな雰囲気を持っていて"不思議さ"に一役買っているかもしれませんが..

御草履のお話から..

名物裂笹蔓文花緒草履御草履の業者さんが廃業すると言うお話から、少々仄暗いお話..

弊店が取り扱っている御草履は、帯締や半襟などをも扱う和装問屋さんから仕入れたお品ではありません。
お草履/履物専門の業者が手を掛けて弊店独自の御草履を誂えてくれています。

和装問屋さんが扱う草履なんですが...、お商売上の都合では、こうした問屋さんから仕入れて売ると言うのが手っ取り早いんですが、どうも「もの」と言う点で"加工"や"つくり"に納得できなかったんです。
上質の御草履だけを扱うお履物屋専門店さんの仕事を請けている業者さんのお品は"もの"や"お値段"が随分違うため、弊店はお草履/履物専門の業者さんにお願いをして参りました。

ただ、昨年の暮れなんですが突然ずっとお願いをして来た業者さんが廃業する..、と言うことを聞かされました。ですから、これまで誂えてきた御草履や花緒をつくってくれる業者さんがなくなる訳です。

廃業するその業者さんは、同じ仕事をしている業者さんを紹介してくれたのですが..、この業者さんとは新規のお取り引きと言うことになる訳です。
すると御草履を誂えるに必要な原材料が、ここ数年値上がりしていて、これまで扱っていたお値段では到底扱えない状況となりました。
弊店は、それまでの業者さんに無理を言っていた訳ではないのですが、「昔からお付き合いは、それ相当で..」納まっていたんですね。

しかし、これからは、仕方がないことです。紹介を受けた業者さん以外は、これまで扱っていたお品と同じ程度の仕事/加工が期待できなかったんです。

そこで、今年から新しく誂えた御草履からお値段を上げることになったんですが...、
この3月に、突然、以前扱っていた業者の社員さんがお店に顔を出してくれて、以前扱っていたお代金で仕事を受けてくれるお話になったんです。

彼は、草履を型から誂える注文も受けてくれれば、花緒の誂えも受けてくれます。また、草履の裏底の交換や花緒の前坪の取替..、もちろん、花緒の"すげ"も受けてくれるんです。


花緒をすげていますこうしたお話をすると、しばしば、制作者のところへ直接注文をすれば良いのでは?と言うお話を聞きます。
御草履だけではなくて、お着物や帯地を制作している"元"で仕入れや買うと言うお話に繋がります。

これは"質の良いもの"を扱うのであれば"止めた"方が良いお話なんです。

職人と呼ばれるひと達の中でも"腕の良い"とされる職人の多くは、対話が下手な場合が多いんです。
職人は"もの"を仕事の対象としている訳で、"ひと"を相手にして仕事をしている場合が少なく、制作する"もの"の総合的な感覚(=センスです)に欠けているたりもするものです。

要するに、御草履の場合、花緒をつくる職人は花緒を如何に注文通りにつくるかを仕事としているだけで、どんな草履/下駄の台にすげられ、どんな履物となるかまで考えていない場合が殆どです。

ですから、小売専門店が直接"腕の良い職人"と話しても意志疎通が巧く行かない場合があるんです。これは、もちろん、草履や花緒職人だけではなくて、お着物や帯の制作に携わる職人にも当て嵌まります。ですから、専門の業者さんを通じて意志意向を伝えるのです。


ところで、そもそも「これまで扱いのあった業者さん」が廃業/辞めると言うお話からお話をはじめた訳です。
これが、どうして辞めるに至ったのかと言うと、早い話「不況で売れなくなった」からです。
どの街にもあった高級履物屋さんがなくなって販売販路の先細りが何年も続いて来たのです。
もちろん、こうした業者さんが辞める話は、履物業界だけではなくて、着物/帯の業界では日常茶飯事となっています。

呉服屋さんとしては、履物屋さんと着物の問屋さんのどちらが大切かと問題ではないのです。
販売と言う点で考えれば、呉服屋さんとしては着物の問屋さんと言う話になるかもしれませんが、履物がなくなれば着物は着られません。
着物を着て靴を履くというお話は成り立たないし、腕の良い職人の手に掛かったお着物や帯をお召しになる時に、ただ草履であればいいと言う草履を選ばなくてならないと言うのも悲しい話です。

着物は、そもそも、その型はどんな着物であっても同じ型です。
あえて上質ななものを求めるのは、同じ型...、反物であれば長さ3丈3尺.巾1尺の中にこめられた"もの"="仕事"が違うから..、その色や質感に惹かれるからだと思います。

ただ、"用を足せばいい"ものではない筈です。

御草履も、着物をお召しになる際の大切な装いのひとつです。

先ほど、業者さんが辞める話は日常茶飯事と書きましたが、履物の制作に関わる職人さん、お着物や帯の制作に関わる職人さんは減って来ています。
製品そのものを制作する現場や職人さんだけではなくて、必要な道具や原材料を扱う職人さんレベルから減って来ているんです。道具や原材料がなくては"もの"そのものをつくることさえも出来なくなるんです。

細かい要望を「とりあえずやってみます」と無愛想な返事でこなしてくれる職人仕事があるから、他とは違う空気を感じさせてくれるお品が出来上がるのです。
長いお付き合いだから呼吸が分かるし、頼みやすい..、安心したお品を扱えるのです。

業者さんがひとつ廃業したり、職人さんがひとり辞めたりすると、その代わりをさがすことが難しい時代に来ているんです。


*草履に花緒をすげながら"彼"が言っていたんですが、花緒をすげる為に必要な"専用の金槌"がいま手に入らないとのことです。そもそも、"専用の金槌"が製造されていたかどうかは分からないのですが、彼が使っている金槌は、鍛冶屋さんで加工して貰ったものだそうですが、その鍛冶屋さんも..、もう街で見掛けなくなりましたね。

ご案内...、お単衣.夏季のお着物と帯地

お単衣と夏季のお着物と帯地の展示会*お単衣と夏季の展示会
*会期:4月18日〜21日

お単衣のお着物/帯地から、夏季のお着物/帯地を展示致します。

織物..
夏久米島.下井紬夏織.本場結城紬縮織.
小千谷縮麻織など

染めのお着物..
生紬小紋.単衣小紋.絽小紋.絽付下など

帯地
生紬染め帯.藤布.宮古上布.麻織
麻染め帯など



*この度の展示会は終了致しました。
 ご来会を頂きまして有難うございました。

今年の桜..

2014年の桜今年の桜です...。

お店のすぐ近くのお寺から大きな交差点歩道に伸びている桜なんですが、とても見事なので街行く人の眼を楽しませてくれています。