品川恭子氏の染色作品/芙蓉の花..、絽紬.染め九寸名古屋帯

品川恭子 芙蓉品川恭子の作品に触れていると、何となく、着物とか、帯とかへの意識が薄い様に感じられる時があります。
飾っていない感じなんです。

写実的な柄模様が染め描かれていても、どこか詠嘆的な感じある..、この作品で喩えるなら、花の「表情」のようなものかもしれません。

二輪の芙蓉..、同じように映っていても、何となく"違う"と言う感じを憶えるんですね。
情緒めいた妙な空気を、それぞれがもっている...、観ていると、徒な想いのようなものが浮かんで来そうな予感がします。

絽紬の染められた<芙蓉の花>

土屋順紀.草木染め紋紗織..、ModernArtを想わせるその存在感

土屋順紀 草木染め紋紗織 帯染織家.土屋順紀が制作した草木染め紋紗織の九寸名古屋帯。

草木よりつくられた<色>と紋紗織が相俟って生み出される<その姿>は、眼にする者の感性に響いてくる様です。

色と織の美しさの中に、風景や音楽、ちょっとした物語の様なものが伝わって来そうです。
染織とか、手仕事とかを超えて..、ModernArtを想わせる存在感が感じられます。

個性や美意識に満ちた作品でありながらも、強さとか激しさなど微塵もない..、むしろ、何ものにも抗わない優しさを垣間見ることができます。

貴き西陣織..、薄絹の帯地/勝山健史

勝山健史 薄絹染織家にとって手掛けた<作品>が自身の美意識を表現する、あるいは、伝える術であるとするなら...、この西陣織から伝わってくるものは、制作者の意識なのかもしれません。

伝わってくるのは、"美しい"とか"綺麗"とかだけじゃない...、それらとは違う、それら以上の感覚を憶えるし、感性が感じられます。

西洋なのか..
東洋なのか..
日本なのか..
現代なのか..
古なのか...

制作者が、かつて、何かを眼にして、また何かを感じて...、そして、理想として求めた"かたち"や"姿"が、どうやら作品となっているようです。

"綾織の絹"と"箔"だけで織り上げられた<薄絹>の西陣織。
作家性、あるいは作品的であり、かつ、織人の巧みがある。


(綾織の西陣織/塩蔵繭.織糸使用)

志村ふくみ...、藍の織物が伝える叙情的な感覚

藍織物藍で染められた織糸を使い織り上げられた織物...、眼に映る色や色印象以上の何かをみている様な気持ちになるし、そう感じてしまいます。
制作者は、<この色>を眼にしたその時、どの様な感情を憶えるかを図っているのかもしれません。

光を浴びることで<色>が奏でられているかのようです。
ただ、色がそこのあるだけではなくて、光の加減の中で、色と色が共鳴して....、色の印象を、色の姿を映しているようなのです。

眼にしていると、静かに感情が揺れるのを憶えます。



志村ふくみ染織作品

貴き西陣織..、龍胆襷文/勝山健史

西陣織袋帯 龍胆襷文 勝山健史竜胆(りんどう)の花と葉をデザイン化した図案は、<和の文様>の中には幾つか見掛けることが出来ます。

"竜胆"から派生した家紋に至っては、紋帳をみていると、ちょっとした数の"竜胆"があしらわれた家紋があるんですね。
(私的には...、この"りんどう"って言葉の響きと当てられた漢字の雰囲気が、何となく文学的な知性みたいな感じが巧く嵌っているよう思うんです。ちょっと惹かれる文様なんです。)

また、家紋とは別に、有職文様としての"竜胆丸文"なる文様...、喜多川俵二氏の夏織物"顕紋紗"の中に"竜胆丸文"と銘が付けられた織物があります。
そもそも平安貴族の装束に織り込まれていた文様でもあるんです。

こちらに掲載をさせて頂いた西陣織(袋帯)は、勝山健史氏の作品。
有職文様そのものを想わせる竜胆の文様が織り出されています。

この文様だけをみてみると、もしかしたら特に目新しいと感じられるものではないかもしれません...、けれども、実際に眼にすると、そして、この織物に触れると、とても新鮮な感じを憶えるんですね。
よくある感じのデザインであるにも関わらず、"ありきたり感"がまるでない。

ほぼ白色と言っても良いくらいの織糸で文様が織り出されているんです。
きっと、この織糸が極めて綺麗なんだと思います。他の西陣織、絹織物にはない程に、綺麗な織糸....、その織糸ただそれだけ、それもたった一色だけで織り上げられているからこそ、特別な存在感を伝えるのだと思います。

新鮮な感じを湛えながら、品位と格調を伝えている。
保守的な姿勢ではなくて、むしろ、伝統的な"竜胆文様"に対する制作者のアイデンティティもって制作されたのかもしれません。

(塩蔵繭/織糸.使用)

小倉淳史/辻ヶ花.絵羽コート..、

辻ヶ花 小倉淳史辻ヶ花染色作家である小倉淳史製作の<絵羽コート>です。

施された辻ヶ花だけではなくて、他の染色作品では見掛けることのない色艶が印象的な作品です。

こうした色艶を眼にすると、小倉淳史の美意識がしっかり感じられるんです。

見掛けることがない色艶であっても、眼にしていると「新しいものをみている」と言う感じがないんですね。
何かもが"新しい"とか"見掛けた感じではない"と言う訳はないんです。

"辻ヶ花"そのものは、そもそも、室町時代中期から江戸時代初期までの間に制作されていた古の染色手法で、江戸時代初期以降、この辻ヶ花の制作は途絶えることにより、幻的な染色と捉えられていたようです。

そんな幻を復元したのが、小倉淳史の先代小倉建亮...、辻ヶ花は京友禅よりも歴史そのものは古く、且つ、古典でもある訳です。
先代より手法を修得した小倉淳史は、博物館などに所蔵されている古の辻ヶ花の修復や復元に携わることで、古の辻ヶ花を最も近くで眼にしながら、自身の作品制作をしているのです。
"幻"を実際に眼でみて、手に触れ...、そして、新たな作品を制作しているんですね。

小倉淳史は染色家として、1970年代より今日まで、日本伝統工芸展に辻ヶ花の作品を出品しています。今日昨日始めた作品ではなくて、辻ヶ花について、その手法だけではなくて、歴史など知識までも知り尽くしているだと思います。

ただ、古いものが良いという価値観はおかしいし、また、目新しいだけではナンセンスなんですね。
単純に「自身の美意識」だけを表現するのであれば、斬新な色艶とデザインに傾ければ良いかもしれない...、しかし、それでは傍からみて「美しい」と感じられるものは、なかなか生まれてこないものです。

こちらに掲載している作品が、見掛けることのない色艶をしていながら、「新しいものをみている」と言う感じが伝わらない.、また、着物の類として違和感を憶えないのは、この制作者小倉淳史がが、辻ヶ花を徹底的に知り尽くした上で、自身の色艶を表現しているからなんだと思います。

この絵羽コートなんですが、施された辻ヶ花と色艶のバランスが整っているんです。
古典的な香りを辻ヶ花で匂わせて、この色艶にその香りを馴染ませているかのようなのです。
古の辻ヶ花に対する敬意というものがあって、制作者自身の美意識が巧みに表現されている。

ある意味、本物の古典性があって、且つ、現代性をおびた染色作品なのかもしれないですね。

<南のくに>..、型絵染め帯地 // 室伏弘子.染色作品

室伏弘子..、「南のくに」室伏弘子氏は、国展(国画会主催)に作品を発表されている染色家...、こちらの作品は「南のくに」と言うタイトルが付けられた型絵染め作品です。

南国の青い空に、"花"と"花びら"が舞っている...、そんな光景がモチーフになっているのかもしれません。

「型絵染め」と言うと、そもそも、沖縄の本紅型の染色手法に源流として、絵画を想わせるような図案、デザイン性豊かな図案が染め描かれることが多いんですね。
また、初期の「型絵染め」...、1960年代頃の「型絵染め」には、寓話を想わせる民芸調の図案が染め描かれた作品を多く見ることが出来ます。

この「南のくに」と言う作品なんですが、寓話的な印象も薄れ、民芸的な感じからも離れている感じがします。
色彩は明るく、柔らかな空気に包まれている。「型絵染め」としては「いま的」なんでしょうね...、現在の作家の視点で描き出されるのは絵画と同じんだと思います。

ただ、この「南のくに」に描かれているのは、どうやら「南国の花」だと思うんですが、この花の「かたち」と図案の構成、彩色の加減、そして、「花」の図案とは別に施された「斜めの白い背景」...、「南国の花」とは、春や初夏を想うべきなんですが、ちょっと見方の意識をずらしてみると、秋の風に、花や葉が舞吹かれている感じが描かれている印象を想ってしまうんですね。

こうした効果なんですが、製作者のデザイン感性だけではなくて、技術的な上手さがなくては実現できないんです。

花の色の感じなんですが、顔料の加減が、色の表現だけではなくて、型絵染めとしての質感の表現を伝えている...、顔料を刷り込んだ痕そのものを「絵の質感」としているんですね。
こうした「顔料の使い」は、実は型絵染めの初期時代の染色家の作品で見掛けることがあります。
あまり、この「顔料」のノリが濃いと、民芸臭さが強くなり、表現手法としては狭いと感じられることがある...、でも、ここでは上手く使いこなされているんですね。

南のくにそれと「花」の図案の背景となっている「斜めの線」なんですが、これは染め描かれた図案に対して、見事なまでに「動き」を与えています。この「背景」は、まったく「花」の図案とは別に染められているんです。花の図案と一緒に染めているわけではない。だから、「花」に動きが現れる...、花や葉が舞吹かれている光景として眼に映るんです。

主題となる「絵」と背景の「絵」を別々に染めてひとつの型絵染めとする手法を「朧型」と称され、型絵染めの手法の中でも、珍しい染色手法なんです。

この「南のくに」なんですが、随分と手間の掛かった仕事が隙なく施されているんですが、眼にしていて、疲れる感じがしない。むしろ、リラックスした感じを伝えてくれる。おおらかな空気感が漂っているんです。

かつて、型絵染めが、寓話的で、製作者の印象を色濃く伝えることが多かったことに対して、朧型と言う高い染色手法を「それとなく」施しながら、自身の感性が気負いなく作品に投影されているんだと思います。

制作者.室伏弘子氏の心象風景みたいなものが、心地良く表現されている型絵染め作品...。

品川恭子氏の染色作品/菱花紋..、染め九寸名古屋帯

品川恭子 菱花紋 染帯品川恭子氏の染色作品のご紹介です。

染色家としての品川恭子氏が制作される作品の中で、花文様を家紋に見立てた...、または、家紋そのものを文様とした作品があります。
「花紋」なる銘が付けられて...、訪問着、染め帯に染められています。

この「花紋」なんですが、そもそも、「家紋」そのものだったり、「家紋」を意識させる自身の創作図案だったりする訳なんですが、その「花紋」が染められた作品を眼にすると、品川恭子と言う染色家の空気感がしっかり感じられるんですね。

こちらに掲載をさせて頂いた作品は、「菱花紋」なる銘が付けられています。
"菱"と言うかたち..、この"紫"と言う色...、どちらも日本古来の格調を想い伝える"かたち"と"色"なんですね。
有職的でもある。そして、王朝的な香りを匂わせている。
しかし、やはり、品川恭子と言う染色家の空気があるんですね。

日本古来の"かたち"と"色"の中に、見事までに自身の美意識が表現されているようなんです。

「菱花」を染め描いている色..、朱系の色、灰色、そして、薄茶系の色。
どの色も、ひとつずつ挙げてみると、それ程何かが感じられる色でもないかもしれないんですが、この作品の中では、それぞれが何かの役割を遂げている..、そんな感じを想ってしまうんですね。

特に、繊細で、精緻な友禅が染め描かれている訳ではありませんが...、日本的な感性と芸術的な感性が、巧いほどに相俟った染色作品ではないかと思います。

生絹.綾織 九寸名古屋帯 || 織物の碩学 向井淑子.染織作品

向井淑子 綾織帯地染織家.向井淑子氏が制作する織物は、どれを眼にしても<巧みさ>みたいな完成度に息を呑んでしまうんです。

手掛けられた作品のどれも...、創造性に溢れ、織物として精巧なのです。その上、衒いのようなものを匂わせない。
感性の豊かさは確実に伝わって来るにも関わらず、<作為>とか<計らい>の類がまるで感じられないんです。

クリエイティブな印象を受ける織物であっても、向井淑子氏の作品からは、自己主張みたいなものが伝わってくることはないんです...、あたかも「ずっと以前からあった筈でしょ」みたいな感じがある。

きっと、織物のつくると言うことを知り尽くしているんだと思います。

こちらに掲載をした織物は、柿渋で染めた生絹の織帯です。
眼にしても、触れても絹織物って感じがあまりしない。
東南アジアの植物系の織糸で織られた現地の織物と言う感じなんですね。

<つくりもの感>などは一切感じられない....、染織家が制作したと知らなければ<エキゾチックな織物>と思ってしまってもおかしくない。

こうした仕事は、何処で学んでも、誰にでも出来る訳ではないと思います。

向井淑子氏は織物の碩学なんだと思います。

貴き西陣織..、雲に飛鶴/勝山健史

勝山健史/九寸名古屋帯+02.jpg勝山健史氏が制作した西陣織九寸名古屋帯。

鈍い加減の"地色"の中に"瑞雲"と"飛鶴"が織り込まれている織物。"瑞雲"も"飛鶴"も吉祥を暗示する文様です。

よくある吉祥文様の織物であっても作為的な<感じ>がまるでない。
何かに"真似ている"と言うところが感じられないですね。

これだけシンプルに"瑞雲"も"飛鶴"を織り描いていても"写している"感じさえも伝わってこない。

でも、"古いもの"に感じるような感覚がある..。
"古い記憶"に触れた時に響くような感覚が、この織物にはあるようなんです。それは感情とか感覚を惹き込んで行く不思議な空気のようなんです。

しかし、古いものに対する単純なる懐古的な匂いはない。

飾るために"古いもの"を写している訳でないようなんですね。

真摯に、織物の中に眠る"古い記憶や歴史"を、制作すること、つくり込んで行くことで探り、倣っているようなのです。

ひたすらに織り込まれた"瑞雲"と"飛鶴"には、まるで制作者自身の"祈り"みたいなものが込められているかのようです。

ちょっと"知的なスピリチュアリティ"が感じられます。
でから、吉祥文様でちょうど良かったかもしれませんね。


"着物と帯のあわせ"じゃないんですが、この西陣織をお着物とあわせてみました。

お着物は本場結城紬.無地織の"黒"です。

禁欲を想わせる"黒"と手仕事の趣を伝える真綿織の質感は、この西陣織が語りかけてくるものと、巧く馴染んでいます。

趣味だけには留まらない知的な香しさを想わせてくれる"あわせ"となりました。

(塩蔵繭/織糸.使用)