控えめだけれど、優雅な空気が漂って来ます..、切箔.霞み模様の付下と有職文様の袋帯

blog_+00.jpg"きもののあわせ"...、今回は、金彩加工が施された霞みを景色とした付下の着物と有職文様の袋帯との"あわせ"についてお話をしたいと思います。

まずは付下..、付下と言っても、柄模様が、少々控え気味とも感じられる友禅が施されているだけの付下。
僅かに、所々、金彩加工が施された"霞み"が、この着物の景色をつくっているだけ...、"ただそれだけ"の柄模様なんですが、十分過ぎるほどの印象を憶えると思います。

地色をつくっている彩色は、極めてデリケート..、ほんの僅かに艶やかであり、そして、落ち着き払っています。色が淡いようであり、かつ、深いんです。
そして、景色をつくっている霞は、単純でありながらも、やはり奥行きを想わせるんですね。金彩と、染め暈かしをずらすことで、霞みに影のような効果をつくっているんです。
どこにである単純な下絵であっても、腕の良い職人が手を掛けることで、柔らかな緊張感のある着物になるんです。

控えめな印象をConceptとしても..、着物の意識は"気品"に満ちていて、知的であり、美しくなくていけない..、そんな意識を暗示するような空気感をもっています。


実際、"きちんと"しなくていけない席..、染めの着物で"綺麗"に決めなくてはならない席での装いを想定すると、やっぱり"付下格"や"一つ紋の無地着物"などのお着物を求められる場合があるかと思います。

絢爛な感じの友禅や無地の着物では、"無難"にこなすことが出来るんですが、着物を楽しむにはちょっと教科書的でつまらないかもしれない。
着物と帯を"あわせるセンス"を働かせてみたり、染織に対する審美眼みたいなものから選んでみると..、ちょっと控えた感覚ながらも上質感を香らせる友禅の付下などをお召しになるのも..、結構、楽しめる装いだと思います。

この付下に"あわせて"みたのは、喜多川俵二制作の有職文様が織り出された袋帯...、二倍織物.竜胆丸文様との銘が付けられている西陣織の袋帯です。

この有職文様..、きっと誰に訊いても「礼装を感じさせる帯」と答えるかと思います。

しかし、この竜胆丸文様なんですが、通常、西陣織で「礼装用の帯」とされる帯に比べると、何となく礼装感覚が希薄に感じられるかもしれない..、豪華絢爛たる存在感がある訳でないし、張り詰めた緊張感という空気感が伝わって来る訳ではありません。

霞み暈かし/切箔.付下+竜胆丸文.袋帯この竜胆丸文様なんですが..、"竜胆丸文"そのものの"かたち"は完璧なほど綺麗な"かたち"をしているし、その背景に織り出されている"亀甲花菱"の"かたち"も、また整い揃った"かたち"をしている。
橙色、紫色、緑色..、この主に三つに配された色のバランスにも、何かが特に目立っている訳ではありません。

この竜胆丸文様に施された意匠..、計算され尽くしたかのような図形文様と図案の見事なる組み合わせには、何ひとつ狂いや違いがない。

文様、または、紋章のデザインとして間違いないくらい整っていて、完璧なんですね。そして、和を意識させる品位と"雅"な空気を伝えている。
こうした品位や空気は、礼装感覚だけを追っかけている織物には感じられない..、有職文様に対する歴史とか教養のようなものが重ねられることで、生まれるものだと思います。

切箔.霞み模様の付下と竜胆丸文様の"あわせ"ですが、きものと帯、双方に、和服への美意識とか、知的な感性と言ったメンタルな美しさが感じられる"きものと帯のあわせ"なのです。

白い霞みが印象的な"本場結城紬"とartisticな"型絵染め帯"..、着物と帯のあわせ

本場結城紬.緯霞み白暈かし+福島輝子.型絵染め帯"着物と帯のあわせ"...、"本場結城紬の着物"と"型絵染め帯"をあわせてみました。

そもそも、"型絵染め"の帯と"織"の着物は相性が良いようです。

着物と帯、それぞれの"色"とか"あわせた時の感覚"の"好み"みたいなものがあるかもしれませんが、余程"間違わない限り、"型絵染め"の帯と"織"の着物は、馴染んでくれるみたいです。
むしろ、型絵染めの帯...、特に、染色家が制作した型絵染めの帯は、ちょっと手間が掛かった織の着物に相性が良いです。

こちらに掲載をさせて頂いたお着物..、本場結城紬なんですが、色の感じからすると、特に珍しい訳ではないけれど、ちょっと目を惹くところがあります。
何かが、特に変わっていると言う印象ではない。本当に「ちょっと目を惹く」と言う感じをもっているんです。

"白い"と言う印象の中に..、その"白さ"を汚すことなく"霞み"のような景色が織り出されている。
この"霞み"のような景色を織り出しているのは、不規則に織り込まれた緯(よこ)の糸..、織人の感覚が、この"霞み"のような景色をつくっていると言うことなんです。

本場結城紬と言うと、縞織/格子織、絣織と言った決まった感じの織柄や図案が織り出されていることが当たり前の織物の筈です。
でも、本場結城紬は、"そう"ではありません。

本場結城紬の極上の素材感と、こうした"織人の感覚的な仕事"が相俟って、「目を惹く存在感」が感じられるのだと思います。
また、「珍しい」とまで感じられないのは、色の感じも甘く、霞みの加減も穏やかで、印象として"主張するところ"がないからかもしれません。

見た感じからすると..、本場結城紬っぽくないかもしれない。
けれども、着物として..、上質の織のお着物としては格別な着物となるかもしれません。素材感は、この上ない程に良いし、ちょっとした存在感がある。色の感じも難しくはないし、個性的に映ることもない..、何より、白い霞みの景色が、垢抜けして、余所行き感覚を高めてくれている。


本場結城紬.緯霞み白暈かし+福島輝子.型絵染め帯そして、型絵染めの帯..、何が染め描かれているかは、具体的に説明出来ないけれど、語りかけてくるような制作者の意識が、しっかり感じられる..、まるで、現代美術を想わせるような空気感をもっています。

様々な"かたち"..、それも、はっきりとしない"かたち"と、様々な"色"(まるで、それぞれの色が生きているかのような色)が、制作者の感性とか意識によって、響き合っているかのようなのです。

もしかしたら、この共鳴は、"色"と"かたち"の調和が、微妙に"ずれている"ためにに響いているのかもしれない。
"色"も、"かたち"も、はっきりしないのは、その"ずれ"ているせいなのかもしれないんです。

これらすべて制作者の美意識から生み出されているようなんです。
具体的にはっきりしないのも..、"色"と"かたち"が"ずれを生じ"ながらも、共鳴しているのも..、偶然ではなくて、制作者の美意識なんですね。

もう、ここまで制作者の美意識が、作品表現に色濃く反映していると、着物とか、帯とかの図案ということを突き抜けいている感じがします。
やっぱり、現代美術を想わせる空気を帯びていると思ってしまっても間違いではないと思うんです。

こうした型絵染め帯は、黙っていても"表現力"に満ちている。
個性が濃く感じられる着物とは、必ずしも、相性が良い訳ではないと思います。むしろ、主張を控えた着物には馴染む..、けれども、質感のない着物では、バランスがあわない。

"白い霞み"を景色とした本場結城紬は、この型絵染め帯とあわせても、"悪い着物と帯のあわせ"にはならないと思います..、素材感もあるし、"景色"が漂わせる存在感は、この型絵染めの作品性とバランスを保っている。
着物と帯が、絶妙に馴染んでいるかどうかより、妙な違和感はないと思います。

"きものと帯のあわせ"としては、随分と重い趣向かと思われるかもしれませんが、着物も帯も、どちらかと言うと、直感的に伝わる"存在感"をもっていると思います。
それぞれの"存在感"を重ねてみた"きものと帯のあわせ"なのです。


型絵染め帯;福島輝子(国画会)作品

真綿紬の着物(士乎路紬)と名物裂"花兎金襴"の帯...、着物と帯"あわせ"

西陣織名物裂「花兎金襴」帯地+士乎路紬「雲」着物と帯"あわせ"...、ご案内するお着物は"真綿紬"、それも泥染めされた真綿糸で織られた紬織物のお着物と、引き箔を使い織られた名物裂"花兎金襴"の帯との"あわせ"です。

そもそも、「"紬の着物"に対して"箔使いの西陣織の帯"をあわせる」ことを言葉だけで思うと、ちょっと違和感を抱く場合もあるかもしれません。
ただ、お話をもう少し入り込んでみると...、"あわせ"の趣向みたいなものが見えてくるかと思います。

"紬の着物"の"本来"的なお話をすると、生糸に向かない"くず繭"からつくられた織糸で織られた織物、そして、離島や山里で織られ、その土地の匂いを想わせる織物...、こうした織物から仕立てられた着物である場合が多いのです。
だから、普段使いの着物と言われる..、礼装には向かないし、飾られた品格と言う感じはないんです。

一方、西陣織は、"飾る"と言う趣向の上で発展し、伝承されて来た織物なのです。そして、"都"をその制作の地としている..、常に、文化があり、英知があり、趣向を求められた土地の中で育まれてきた織物です。

真綿紬の着物と西陣織の帯は"馴染まない"...、けれども"何時も馴染まない"と言う訳でない。

こちらに掲載をさせて頂いた真綿紬は、士乎路紬...、能登で織られている手織紬です。
この士乎路紬は、能登の地に伝承された織物ではなくて、手織紬の理想を求めつくられたただ一軒の機屋が制作する織物です。
そして、この士乎路紬は、この能登で柄模様が考案されるのではなくて、京都からの誂え依頼を受けることで制作を続けて来ていることも、他の紬織物と決定的に違う性質を違えている点なのです。

また、"花兎金襴"なる名物裂の西陣織も、"飾る"には"飾って"いるかもしれないけれども、絢爛たる印象はありません。趣味人に愛好された伝承されて来た名物裂の柄模様は、絢爛な装飾と言うより、"趣味趣向"に"飾られた"印象が色濃く残っているのです。
礼を意識するとか、誰か意識するとかではなくて、所有する本人の趣向ための織物と言う性格をこの西陣織は持っているのです。

士乎路紬に織り出された図案は、"雲"です。
この"雲"の図案なんですが、離島や山里で織られた類の織物にはみられない...、友禅や西陣織の図案としてみられることが多いんです。
着物の図案である"雲"の図案は、中国の神仙思想から来ている"瑞雲"を表していると聞いています。どちらかと言うと"吉兆"を掛けた図案なんですね。

西陣織名物裂「花兎金襴」帯地+士乎路紬「雲」この"雲"の図案が織り出された士乎路紬には、真綿紬でありながらも、"都"の匂いがするんです。

この"雲"の図案を織り出された士乎路紬は、名物裂の西陣織と同じく"都"の趣向が反映されている織物なのです。

何も綺麗なものだけが"都"の趣向ではない。
普段着的な装いの中にも、垢抜けした空気を漂わせる...、そして、"趣"に興じた"名物裂"の西陣織を"あわせ"る。

花兎が織り出された"引き箔"の加減は、この士乎路紬の"余所行き感覚"を上げてくれている。それぞれの色の感じが馴染み、それぞれの趣向が調和する。
垢抜けした、感じの良い空気が、この"着物と帯"の"あわせ"から香ってくる筈です。

本場黄八丈(丸まなこ)/山下芙美子+品川恭子/染め名古屋帯..、着物と帯のあわせ

山下芙美子/本場黄八丈.丸まなこ織"着物と帯のあわせ"の中で<本場黄八丈>と<品川恭子氏制作"八ツ手"の染め帯>のあわせをご紹介したことがあります。

山下八百子(故人)が手掛けた比類のない"鳶"の色を印象させる本場黄八丈...、そして、枯れ朽ちた"八ツ手の図"から漂ってくる"綺麗さ"をもった染め帯...、これら"着物と帯"それぞれのもつ存在感を"あわせのCocept"としました。

素材感や色印象を想えば、また違う"解りやすいあわせ"もあるんですが、着物や帯、それぞれから感じられるものを、わざわざ"あわせのCocept"としたんですね。
制作者の美意識とか、手仕事が伝える質感が残る"作品"に対しては、"感じられるもの"または"感じるもの"を視点に"あわせ"をしてみたんです。
色だけとか素材だけの"あわせ"とは違う、作品がもたらす特別な存在感を、着物と帯の"あわせ"にも感じられるですね。

そして、今回も"本場黄八丈と品川恭子制作の染め帯"の"あわせ"のご紹介です。

本場黄八丈は、山下芙美子制作の<丸まなこ>です。
<丸まなこ>は、これまで山下八百子/芙美子さんが手掛けてきた綾織と比べても..、更に、精緻で、細かな綾織が織り込まれています。
この<丸まなこ>は菱型の織が入れ子のように織り込まれて行くのですが、この菱型の織が、極めて細かい、徹底的に精妙なのです。
それも、すべて"ひとの手"で織られている。機械的、無機質的な感じが"完全にない"んです。

どうやら"椎"でグレイ色に染められた絹糸と泥染め(黒八丈に供する糸)された黒色の絹糸..、大きく分けると二つ種類の絹糸が織り込まれているようです。恐らくは、無秩序に近い感覚で糸が使い分けれているのかもしれませんが、何かの規則性があるかのような"整い"が感じられるのです。
色の表情に、妙な"澱み"とか"斑感覚"がなく、やはり"整って"いるんです。そして、無彩色印象を超えた"色の気配"が確実に感じられるんです。
極上質の絹糸と八丈島の草木染め、そして、織人の美意識と卓絶した技術が相俟って生まれた"整い"と"色の気配"なんだと思います。

"無地織"とか"無地感覚"と言う形容は、この<丸まなこ>には馴染まないように思います。
確かに、見た眼には生地を飾る柄模様はありません...、色を想っても眼に付きやすい色ではない。無彩色などと言われる色であり、主張をする色ではない...、けれども、<丸まなこ>そのものが存在感を伝えるんです。


さて、品川恭子制作の染め帯です。
やはり、染め帯としては、そこらにはない"存在感"が感じられるんですね。
それも"衒い"のようなものが一切ない..、無垢な美意識と研ぎ澄まされた感性からつくられているんだと思います。

染め描かれている"絵"なんですが、ちょっと妙なる感じがある。
以前、ご紹介をした"八ツ手"も"枯れ朽ちていた姿"を染め描いていたんです。きちんと感覚ある塩瀬素材に、わざわざ"枯れ朽ちた葉"を描くと言う趣向..、それにも関わらず、違和感なく、"絵"に向かうことが出来たんですね。

こちらで掲載をさせて頂いた染め帯の"絵"なんですが...、"芭蕉の葉"なんでしょうか、そこに"雪"がのっている。そして、瑞雲があり、文様図案とされた"花文様"がある(いやいや花紋なんでしょうか)。
染め描かれた"図案"一つ々々が、個性的でありながらも、繋がっている感じがある。どんな訳で繋がっているかはその理由(わけ)は解らないんですが..。

品川恭子/染帯何が染め描かれているかは上手く説明できないんですが、とにかく"図案"一つ々々に作者の感性が感じられる..、"絵"そのものとしては、万葉の時代に詠まれた"和歌"の類から香ってくる匂いのようなものを想うんです。
和歌には、文芸としての解釈の他に、音による解釈があるようなんですが、この"絵"にも、"絵"としての意味だけでなくて、万葉時代の"詞"を想わせる香りがあるんですね。それも、様式を意識したものはなく、知性を衒ったものでもない..、そして、宮廷的、雅な感じでもない。
古の歌人が、詠嘆に任せて言葉を連ねることで和歌を紡ぎ出した様に、この"絵"にも、僅かな"物語"..、それも、ほんの数行で終わってしまう物語のようなものが伝わってくるのです。

色彩的な印象は、決して明るくはありませんが、暗い印象はない..、明るい暗いよりも伝わってくるものがある訳です。
僅かな"物語"..、和歌のように数行で終わる物語です。
ただ、伝わってくる感触は、とても詠嘆的なんです。だから、感情とか感性で受け止めるしかないんですね。

染色手法だけで伝えられるものではありません。染色が巧いだけでは表現できない空気があるんです。
絵画的感性とか、文芸的な感性が、無意識的に作者の奥底にあるのかもしれません。


山下芙美子の<丸まなこ>と品川恭子の<染め帯>..、そのどちらも"装飾的な印象"としては控えられている感じがするかもしれません。でも、そんなことはどうでも良いくらいの存在感があるんですね。
たとえば、光を受ければ受けるほど、多様な意味での"深み"のようなものをおびてくると思います。
無彩色の絹織物と彩色が控えられた染め帯..、それも染色工芸作家が制作した作品..、それだけでのお話なんですが、眼で感じられる印象は、複雑で、言葉に代えることが出来そうにもないんです。しかし、感じている印象は、気持ちの奥底に心地良い詠嘆をもって響いてくるかのようなんです。

着物が"ひと"を飾る"道具"に過ぎないなら、こうした"着物と帯のあわせ"は、ナンセンスなのかもしれませんね。

藍染め絣織紬と草木染め綿織物の"着物と帯のあわせ"..、藍と絣織と綿織物

琉球藍染め真綿双紬と草木染め綿織物八寸帯"着物と帯のあわせ"...、絣織の真綿紬のお着物×草木染め綿織物の帯の"着物と帯のあわせ"。

絣織の紬織物と言うと、"民芸的な印象"や"砕けた感じの装い"、まして絣織の紬の着物に綿織物の帯をあわせる...、この"絣と綿織物のあわせ"なんて言葉で並べるだけでも、"余所行き"の着物姿イメージや"きちんとした感じ"などとは距離を感じてしまうかと思います。

ただ、絣織の紬織物も、しっかりと隙なく着こなすことで、"砕けた"、または"カジュアル"などと言った単純な言葉では尽くせない"いい感じ"の装いとすることが出来ると思います。

こちらに掲載をさせて頂いた絣織の紬織物は、藍染めの琉球織物の絣織.真綿紬です。
大城廣四郎織物で制作された真綿糸が使われた双紬。経糸と緯糸..、織糸のすべてに真綿糸が使われ、琉球藍で染められています。
琉球藍は日本の藍に比べて"濃い"印象がある...、濃い藍色の中に、まるで煌めいているような感じで白い絣文様がきりっと織り出されているんですね。

藍の色加減と白い絣文様が、藍と白との綺麗なコントラストをつくっています。真綿糸で織られているため、ふわっとした生地の質感が、更にコントラストを深めているようです。

絣織のお着物は、一般的には"砕けた感じ"がするかもしれません。
でも、それ以上に綺麗な絣織は、"砕けた感じ"と言う印象以上のものを伝えてくれることもあります。
藍色と白色...、たった"ふたつの色"でつくられた美しさです。

藍染め色艶も良いし、絣文様も綺麗に織り出されている。もったいないくらいに綺麗な絣織の真綿紬です。
普段着感覚とか、カジュアルな着物感覚と言うよりも、"ひとつ上の空気を伝えるいい感じ"が香ってくるような絣織のお着物です。

この絣織のお着物に"あわせ"たのは"綿織物の八寸名古屋帯"。
そもそも"綿織物の八寸名古屋帯"と聞けば、カジュアルな雰囲気を想われるかと思います。
それでも、わざわざ、"綿織物の八寸名古屋帯"を"あわせ"てみたんですね。

この着物は"ひとつ上の空気を伝えるいい感じ"があるかもしれませんが...、洗練された感覚の帯と"あわせ"てしまうことで、着物の"普段着感覚"だけが浮き上がってしまい、この"いい感じ"と言う空気感を損なってしまうかもしれないんです。
要するに...、全く違う"感じ"の着物と帯が"あわせ"られると、着物が"野暮く"映ったり、帯だけが"整って"映ったりするんですね。

よく似た空気感の織物を帯として"あわせ"てみたんです。
絣織の真綿紬も、そもそも、土着の琉球織物です。
"垢抜けた感じ"と言うものを求められてつくられた織物ではない...、ただ、帯との"あわせ"で、"カジュアル以上の雰囲気"の装いと言うものをつくることは出来る。

琉球藍染め真綿双紬と草木染め綿織物八寸帯織物としての空気感が、何となく似ている帯を選んでみました。

草木染め...、特に藍染めを基調として織られた...、染織家荒木哲雄氏が制作した綿織物八寸名古屋帯です。
八寸巾で織られた、それも綿織物の名古屋帯です。そもそも"余所行きの帯"と捉えることには無理がある。

"余所行き"かどうか、"カジュアルかどうか"...、と言うよりもこの"帯"なんですが、着物となっている絣織の真綿紬と同じく、織物として"いい感じ"がするんです。
色の配色バランス感覚や素材感が実に巧いんです。縞織と紋織、そして、色彩がそれとなく使いこなされている。
染織の仕事としても巧いし、デザイン感性にも優れている...、卓絶した職人仕事と整った感性でつくられた作品性がある。

この帯なんですが、個性的に見えながらも、実は、それ程個性なるものは伝わってこない...、個性とか感性みたいなものが巧く整えられているようなんです。何かが際立っていると言う感じではない。
だから、絣織の着物と"あわせ"ても、帯だけが際立つ訳ではなく、着物だけが浮くこともない....、あえて、特別な感じを匂わせない。

この着物と帯の"あわせ"なんですが、"砕けた感じ"とか"ゆるい感じ"がないんですね。
むしろ、絣織や綿織物、藍染めを「"あえて"きちんと着ていますよ」なんて感じにしている...、藍染めと絣織、綿織の八寸名古屋帯を"ひとつ上の装いとして"楽しんでいる感覚になっていると思います。

それと、ちょっとした抒情的な空気感が漂っている様な気もするのですが...、

小紋も..、名古屋帯も..、いささか欧州的? 春の"きものと帯のあわせ"

更紗小紋と名古屋帯3月も中頃となりました。
時候の挨拶的にも"春霞のただよう季節.."とか"木々の緑日ごとに色めく季節.."などの言葉が遣われる季節...、寒さ/冷たさよりも陽光の温もりを感じる季節なんですね。

さて、この季節のお着物を想うと..、そんな、冷たさ..、暖かさ..、気温や天候の加減に敏感になってしまうのではないでしょうか?

ちょっと"春めいた""明るさ"のある着物と帯を意識してしまう...、"着物と帯のあわせ"にも、季節感を取り込んで行くこと...、季節感覚を取り込むのは、当然の"装いの感覚"かと思います。

着物の色には、"季節を伝える色の傾向"みたいなものがあるようです....、と言うか、"着物と帯のあわせ"そのもので、色による季節感を暗示する訳です。
例えば、桜の時季に、桜を想わせる色を、着物とか帯の中に使えば、ちょっとした季節感を出せる訳です。


今回ご紹介をさせて頂く"あわせ"では、着物と帯の色彩印象をもって春めいた印象を表現してみました。
特に、"春限定の色"と言うものがある訳ではないのですが...、ちょっと陽気が良くなって来ると身に纏ってみたい様な"色"があると思います。

そんな"色"をbaseに"ちょっと余所行き感"ある"着物と帯のあわせ"をご紹介してみたいと思います。


更紗印象の文様が染められた小紋と欧州の紋章を想わせる文様が織り込まれた西陣織名古屋帯。

この小紋なんですが、更紗印象の文様と言っても、ありがちな東南アジアの更紗を想わせる更紗ではなくて、どちらかと言うと欧州的...、現代的と言うよりも、古代ローマ遺跡のレリーフか何かに残されていたかのような文様なのです。

もちろん、この小紋の文様が古の欧州的な文様印象を引き摺っているといっても、小紋としての染め型紙を製作された際には、"着物"の柄文様として徹底的に"つくり込まれて"いるようです。

ですから、小紋てしては少々見掛けない印象かもしれませんが、安易な"洋服っぽさ"と言うものが一切ないんですね。
着物の文様と言うか、日本の文様なるものは、お手本/見本である文様が"渡来文様=import"であったとしても...、日本の文様として採用加工される際に"つくり込み"がされる様なのです。日本の風土や慣習...、日本の"色"に馴染むのは、こうした"つくり込み"がされているからのなのです。

ところで、そもそも渡来文様である名物裂文様などは、それらの典型なんですが...、渡来文様なる文様は、いつもちょっと"余所々々しい感じ"があるようです。名物裂文様などは、そもそも趣味趣向が興じた文様であるにも関わらず、いま想えば、"ひとつ上感覚"を感じてしまう筈です。

こちらでご紹介をさせて頂いた欧州っぽい更紗文様にもちょっと余所行き的な"綺麗さ"があります。"綺麗さ"と言っても"色"の綺麗さではなくて、"文様の綺麗さ"なんです。渡来文様をちゃんと"小紋の柄模様"に"つくり込んで"いるから綺麗に感じられる...、いい加減さみたいなものがまるでない。小紋と言えども、街着的な感じではないんですね。


更紗小紋と名古屋帯そこで...、やはり、欧州の紋章を想わせる西陣織をあわせてみた訳です。

そもそも、西陣織は、大陸や東南アジアからもたらされた文様を手本/見本として文様文化を育んで来た織物でもあるのです。むしろ洗練された西陣織には、異国の香りがするものは少なくありません。

この名古屋帯ですが、欧州的な文様デザインに想わせるんですが、よく見ると"菊の家紋"のような文様が、まるで違和感なく織り込まれています。
この帯地文様の出典が、日本の文様ではないとしても...、この"菊の家紋"のような文様をも、手本/見本とされたオリジナルの文様にも入れられていたとしても...、この帯地そのものから伝わる存在感は、和服を意識した存在感なんです。

西陣の制作者が、しっかり"西陣織としてつくり込んで"いるから欧州的な文様であっても、西陣の香りがする。菊の文様も十字文様もとても良いバランスが保たれています。

春の"色"を..、ご紹介しようと思い書き始めたんですが、なんとなく"渡来文様"のお話になってしまいました...。

こちらの小紋には、ラベンダー系の彩色とライトグレー色が巧く文様と地色に染め込まれています。
こうした色なんですが、やはり"春"にお召しになると、春と言う色を着物で表現出来てしまうと思います。

春、この季節に、こうした"綺麗な小紋"を薄色の帯と"あわせ"ることで、時季を暗示させるのです。

"桜"や"藤の花"のように何月何日頃から何日まで、と言うものではありません。
陽光の加減..、ひとが感じる"陽光の感じ"、そして、その陽光に映る着物の色/帯の色が想わせる印象を、季節感として"あわせ"てみました。

小紋と言えども、ちょっと"余所行き気分"の"着物と帯のあわせ"です。
"綺麗な感じ"...、染めのふわっとした柔らかい感じと綺麗な彩色、そして、少々華のあるdressyな更紗文様の着物だからです。帯も、やはり薄色で、ちょっと余所行き的に遊んでいる感があります。

TPOとしては...

*ギャラリー/画廊などでの催し。
*美術館/博物館などの展覧会。
*オペラ/クラシック、歌舞伎などの舞台鑑賞。
*お堅いドレスコード未満の宴/お食事会

おおよそこうした席がTPOとして、良いのかも知れませんが...、夕刻/夜のお出掛けよりもお昼頃からのお出掛けにお召し頂きたい"着物と帯のあわせ"です。

"赤"、あるいは"赤"..、着物ならではの色を楽しんでみませんか?//蘇芳の紬と型絵染め帯

蘇芳と栗を染料とした小格子の手織紬二月となり、寒さ/冷たさは先の月よりも冷え込む日々が続くこともありますが、陽光には僅かな明るさが感じられるようになりました。

お着物をみる眼...、特に"着物の色"に対する見え方も、この月になると少々違った感じ方をするのではないでしょうか?
それまで感じなかった、または、あまり関心がなかった色に何となく惹かれる....、それはこれからの季節特有の陽光が色に表情を与えるようなのです。

今回の"きものと帯のあわせ"では、"赤"と言う色を基調とした"あわせ"でお話をつくってみました。

ただ"赤"なる色は、一般的には着物の色目としてはあまり"受け"の良いとは言えないようです。妙に分かりやすく、主張をしてしまう色に該当して、"無難な色"とは対局におかれがちな色とされているようです。
ただ、その類の"赤"は、そもそも"色"に表情もなく、"安っぽい赤"なのです。

こちらに掲載をさせて頂いた紬織の着物の"赤"...、"赤"と言うよりも、むしろ"赤紫"なんですが、この"赤紫"とオフホワイトが小格子をつくって、"赤"などと言ってもちょっと"いい感じ"の色となっています。

安っぽい感じもないし、野暮な雰囲気もない。
むしろ、着物としては目新しい感じがするくらいなのです。

この赤紫は蘇芳なる植物染料からつくられた赤紫で、赤としては紫の雰囲気を混ぜながら、少々落ち着いている。
この落ち着いている感じが、オフホワイトと小格子をつくることで"いい感じの赤"となっているのだと思います。

また、こうした感じの"赤"は、これからの季節の陽光に馴染みやすい色でもあるのです。仄かなる明るさを伴った陽光は、この"赤"に対して"より深み"を曝してくれるのです。
ですから、ちょっと温もりある印象の色として眼に映る傾向にあります(反対に秋の陽光では堅い印象となりがちです)。

この紬織の蘇芳から得られた"赤"は、自然を想わせる色艶の表情を保っています。陽光の加減によって、まるで"色"が生きているかの様に、その色艶の表情は移り変わりをみせるのです。
そして、自然の恵みからつくられたこの"赤"は、何よりも、ひとの肌に馴染む"色"でもあるのです。

着物に使われている"色"には、時として、着物でしか楽しむことの出来ない色...、着物ならでは色と言うものがありますね。蘇芳の赤もそんな色のひとつです。
こうした自然の恵みから得られた色を、季節に応じて楽しむ、着物ならではお話だと思います。

草木染め手織紬と型絵染め帯ここでは赤い"撫子"の型絵染めの帯とあわせてみました。

この帯...、素材は紬地で、地色の"きなり"に対して、やはり、紫色を帯びた赤色で染められています。
ほぼ赤の濃淡と地色である"きなり"だけの型絵染めです。赤い顔料で染められているため、やはり、落ち着いた"いい感じ"の"赤"です。

この型絵染めは、濃淡に染め分けられ、また、"きなり"との対比の中で、"赤い撫子"が何となく"踊っている"かのようにも見えます。絵としても..、帯としても..、趣味に豊かさみたいなものを伝えてくれると思います。

赤い紬の着物と赤い型絵染めの帯の"あわせ"です。

自然の恵みから生まれた"赤"。
着物でしか楽しむことのない"赤"。
この季節から眼に馴染む"赤"。

色の豊かさを楽しむ着物と帯の"あわせ"なのです。

これからの季節...、ちょっと意識を変えて着物を楽しんでみるのも良いのではないでしょうか?

品川恭子."八ツ手"の染め帯と山下八百子.本場黄八丈..、これで良いかな?

品川恭子/染帯.八ツ手+山下八百子/本場黄八丈"着物と帯のあわせ"...、山下八百子さんの本場黄八丈と品川恭子さんの染め帯との"着物と帯のあわせ"

さて..、この"あわせ"なんですが、単純に、着物と帯のグレイド的な視点で"あわせ"ている訳ではありません。

そもそも、品川恭子さんのこの染め帯...、"八ツ手"の染め帯をどんな着物に、どんなTPOとして楽しめるのかな、と言った感じで考えていたのですが、眺めているとちょっと他にはない存在感が感じられるようになったのです。

塩瀬素材の生地に"八ツ手"の葉が染め描かれています。
それも、枯れ朽ちて、虫喰い葉となった八ツ手です。
加賀友禅に特徴的に染め描かれている虫喰い葉ではなくて、本当に枯れ朽ちている姿が染め描かれています。

この"八ツ手"なんですが、着物とか帯の図案そのもの以上に、実に巧く染め描かれています。

"ろうけつ染め"の濃淡を巧み使うことで、枯れ朽ちた雰囲気が見事に表現されているんですね..。
こうした作風なんですが、実際にみて知ってしまうと、当たり前の様に、また、ごく自然に眼に馴染んでしまいがちではあるのですが....、"染め描く"ことで、"ろうけつ"の濃淡でこうした雰囲気を表現すると言うのは、あまりみたことはありません。

品川恭子と言う染色家の絵画的センスから生まれたものだと思います。

さて..、こうした枯れ朽ちた虫喰い葉の染め帯なるものは、当たり前なものとして捉えるならば、"趣味趣向に興じたもの"となると思いますが、この品川恭子さんの"八ツ手"から感じる空気感は...、違うのです。

この枯れ朽ちた"八ツ手"なんですが、とても綺麗な感じが伝わって来るのです。虫に喰われ、枯れ朽ちた葉が染め描かれているにも関わらず、とても綺麗な感じ...、清潔感をも感じられるのです。

ただ趣味趣向の染め帯...、ろうけつ染めの帯...、"ちょっと洒落ていますよ"ではないのです。
だからと言って、この枯れ朽ちた虫喰い葉の染め帯が、凛とした手描き友禅の染め帯如き礼装感を伝えるかと言うと..、また、違うのです。そもそも、枯れ朽ちていて礼装と言う訳にはいかない筈ですね。

この"八ツ手"は、染色家.品川恭子さんの美意識から生まれた孤高の存在感があるのです。

こうした存在感をどう使うか..、如何に楽しむかは..、着物との"あわせ"の楽しさに繋がるじゃないかと思います。

品川恭子.染帯+本場黄八丈.山下八百子そこで、山下八百子さんの本場黄八丈...、黄八丈と言うより"鳶"の匂いのある黄八丈を"あわせ"のお着物として取り上げてみました。

この黄八丈は、紬織物でなりながら、通常、紬織物には感じられない特別な感じが伝わってくるのです。

紬織物にありがちな、素朴さとか普段着的な雰囲気はまるでありません。色も...、細かく綾織として織られた多彩色が、独特の色印象をつくっています。おおざっぱに言ってしまえば、鳶色は鳶色なんですが、眼にしている色は、"鳶色"と言う言葉以上の美しさと深さを感じるのです。

この着物は、光の加減や帯とのバランスによって、色の加減や織の表情が移り変わるのです。精緻な綾織と植物からつくられた色が相俟った特別の感じなんだとと思います。

普段着的な空気感はありません。また、いかに綺麗な織物といっても、礼を意識したお着物となる訳ではありません。

"あわせ"のConceptとしては、着物や帯...、それぞれから伝わってくる存在感を"あわせ"てみてみたのです。

色艶や素材感からすると、こうした"あわせ"よりも、もっと馴染む"あわせ"はあるかと思います。
この"八ツ手"の地色や雰囲気から想うと、薄灰色系の江戸小紋とか落ち着いた地色の文様散らしの小紋などに"あわせ"ても違和感なく馴染む筈です。それは違和感や不自然さがない"姿かたち"のバランスを適わせた"あわせ"に止まります。

品川恭子さんの"八ツ手"の染め帯も、山下八百子さんの本場黄八丈も、特別な存在感を持っている...、そして、不自然さなく馴染むのでしたら、着物や帯、それぞれから感じるもの...、メンタルな視点で"着物と帯のあわせ"を探し楽しんでみるのも良いと思います。

本場結城紬と型絵染めの帯..、"普段遣い"のお楽しみ//着物と帯のあわせのCocept

本場結城紬+型絵染め帯地.森田麻里"着物と帯のあわせのCocept"..、今回は"普段遣いのあわせを楽しむ"と言うテーマでお話を進めてみたいと思います。

この"普段遣いの着物"の内容なんですが、これはもちろん、部屋着としてお召しになるお着物に相当するお着物ではありません。
あくまでも余所行き感覚ではなくて..、また街着程度なものでもない..、肌に馴染んだ着物と帯を上手に使いこなすと言うようなイメージとなるのかもしれません。

"普段遣い"と言う"意識"も、ひとつの"あわせの美意識"だと思います。"普段遣い"的な着こなしを敢えて楽しむ...、ですから、むしろ、"着物と帯のあわせ"に隙があってはならない。普段遣い的な着物や帯などに隙があると、本気に野暮さがみえてしまいます。

"普段遣い"と言う印象を狙った"あわせ"...、あまり余所行き感が強くても締まり過ぎた感が残りますし、先のお話をしたように本気で野暮くても抜けた感じとなってしまいます。

もしかしたら"野暮いかも知れない"..、いやいや"その感じが巧み"などと言う程度が狙い(楽しみ)ではないでしょうか?

掲載をさせて頂いているお着物は本場結城紬/地機...、きなり地に藍色の格子柄です。帯地は、国画会で作品を発表されている森田麻里さんの型絵染めです。

本場結城紬は、そもそも"普段遣いのお着物"として捉えられているのですが、絵絣をあしらったり、絣を組み合わせて大胆さが表現された本場結城紬は、"普段遣い以上"の質感や印象が感じられることがあります。真綿だらけの紬織なんですが、手を掛ければ手を掛けるほど"洒落た空気"や"余所行き感"が強くなるようなんです。
また、紬織に向けて制作された袋帯などがあわせられると、"普段遣い印象"は失せて、ほぼ"余所行き"の"あわせ"っぽくなってしまう可能性もあります。


この格子織の本場結城紬には、ちょうど良い程の普段遣い感あります。そもそも、格子織は普段遣い感のある柄です。
染めのお着物でも、格子柄は、あらたまった席やお堅い茶席などには非礼とされています。

この本場結城紬の格子なんですが格子織の紬織物としては、とても良く出来ていると思います。
線で引いたよう格子ではなくて、甘い感じの線で格子が構成されています。色目も"きなり"の地色に対してかすれた感じの"藍色"の格子織...、ギンガムチックを想わせる格子織です。
通常、こうした格子織は"野暮ったい"だけなんですが、さすがに本場結城紬の地機織です。野暮い織物ではなくて、民芸的な手づくり感ある織物に織り上がっています。

陶器に例えるなら名窯で焼かれた織部と言うところでしょうか。
民芸的あり、どこか垢抜けしたところも感じられるのです。

本場結城紬+型絵染め帯地.森田麻里こうした本場結城紬だけで、"普段着的な装い"を演出することも出来ると思います。

季節を想わせる"ちりめんの染帯"とか"紬織の八寸帯"など"あわせる"なら無難なところかもしれません。
でも、先にお話をした"隙"のようなものが生じて"本気で"野暮く"なってしまうかもしれないのです。
ついつい、このギンガムチェックの真綿紬の野暮さに足をすくわれてしまうんですね。

やはり、帯は大切なのです。着物には、それ相当の釣り合い適う帯をあわせるべきなんですね。もちろん、この釣り合いは、帯と着物のお値段の問題ではなくて、感覚や質感、空気感のバランスなんです。

どんなイメージの装いとするか...、装いの意識をもって帯を選びあわせる必要があります。

ここでは型絵染めの帯をあわせてみました。

単純に染め帯と言うより...、制作者の意識がしっかりと表現された絵画的印象の帯です。
"森の中に咲き乱れた花"でしょうか? 絵の質感が印象性を想わせて、何となく民芸的、工芸的な空気感を感じさせる帯です。こうした印象をもった帯なんですが、"普段着感覚"に対して工芸的、美術的な香りを与えてくれるのです。

あくまでも普段着感覚でありながらも、ちょっと"着物に対する想い"が感じられる"着物と帯のあわせ"ではないでしょうか? 余所行きとはちょっと言えない感じです。しかし、野暮いなどとは言わせない工芸的な空気感があるのです。

ただ..、こうした工芸的な空気感が着物や帯にないと"普段着感覚でありながら"+"着物に対する想い"の伝わる"着物あわせ"は難しいのでしょうか? とも考えたくなるかもしれません。

普段遣いを感じさせる着物や帯であっても"あわせの意識"をもつ...、そして、趣味趣向が利いた着物姿とすることが、野暮さに落ちない"あわせ"になるかと思います。

工芸的な空気感と言うのも..、"野暮さ"とは離れたちょっと磨かれた感じのする普段着感覚とも言い換えて良いかもしれません。
"普段遣いの着物あわせ"は、誰かひとの眼を特別に意識するのではない..、趣味趣向を想いながら、装うことを楽しむ"あわせ"になると思います。
質の良い陶器やお道具を使い、そして、愛でるのとちょっと似ているかもしれませんね。、

草木染め手織紬と型絵染め || 郡上紬と添田敏子..、"着物と帯のあわせ"のCocept

添田敏子と郡上紬以前に、"着物と帯のあわせのCocept"のお話をしたと思います。

着物を着る"その人"の"美意識"こそが、"着物と帯のあわせ"のConceptとなる...、と言うお話でした。

例えば、秋となり冬を迎える..、袷のお着物を帯付きで楽しみ、そして、羽織を楽しむ季節を迎える。
また、時節/時季を感じ取って、着物や帯に"それらを着物の季節"として演出する(秋には紅葉の着物/毬栗の帯など)。

もちろん、TPOを意識した"あわせ"も美意識の表現だと思います。
クラッシックのコンサートに、音楽を想わせる帯(例えば、譜面が染め描かれた染帯)を使ってみると言うものです。

今回の"着物と帯のあわせ"のお話は、着物と帯のバランス感みたいなものをテーマとしてみたいと思います。
ちょっと漠としたテーマなんですが、今回は"趣味趣向の凝ってみたあわせ"の中の"着物と帯のバランス感"を取り上げています。

ご紹介をさせて頂いた着物は郡上紬。
帯地は国画会所属の染色家/添田敏子制作の型絵染め帯。

郡上紬は、「繊細優美」「装飾的な綺麗さ」などと言う言葉とは真逆の空気感のある草木染め手織紬...、紬糸の素材感と何も付加されない"素のまま"の草木の色彩だけで織られた紬織物です。

織物であっても精巧さとか端正さなどは感じられないけれども、織人の感性とか息遣いが、直に伝わってくるような特別な空気感があるのです。


陶器陶芸に例えるならば、楽焼のような存在かもしれません。

こうした空気感ある手織紬ですが...、紬だからと言って、即ち、安易な帯あわせに走ると、実は、帯が"弱く"映ってしまうことがあります。

同じ手間暇を掛けて織られた本場結城紬などは、実は郡上紬に比べて"洗練されたもの"があるようで、そこそこ"着物と帯のバランス"に偏りがあって"馴染んで"くれる場合があるのです。

郡上紬は、染織家の美意識が強く反映された織物に近い"存在感"があるようなのです。
その見た眼は、素朴な手織紬であるようだけれども、実は、個性を秘めているのです。
じっと眼にしていると、最初、眼にした時とは違う色や織の加減が見えてくるし、感じられていた印象が移ろい変わってくるのです。

添田敏子 郡上紬添田敏子さんの型絵染めは、まるで近代西洋絵画の如き強い迫力があります。

ただ、色彩と図案を表現しているのではなくて、染め描かれているもの以上のものが伝わって来そうです。
そう言う意味でも、単純な"型絵染め"に止まるものではなくて、制作者の美意識が「型絵」と言う表現を通じて昇華された...、美術的なニュアンスがあるのです。

こうした染織作品としての帯は着物を選びます。
郡上紬と同じく...、安易な着物あわせは、帯だけが浮いてしまい着物がまるで見えない"あわせ"となります。

着物と帯の"あわせ"を考える際に、趣味趣向が凝らされた着物と帯を"あわせる""重ねる"と言うだけではなくて、それぞれの質感の程度を"あわせ"ることで...、着物と帯、それぞれの存在感が主張過ぎることなく収まるものかと思います。


こちらにて掲載を致しました添田敏子さんの型絵染めは、どうやら「野菜」を基礎図案とされているようです。民芸を想わせる絵画的な型絵染め帯。
そして、郡上紬は、草木の色と手織で織られた紬織の着物。
どちらも民芸的な趣向が感じられる着物と帯です。

着物と帯の存在感だけではなくて、民芸的な趣向と言う雰囲気をも意識した"着物と帯のあわせ"です。