「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」..、I Remember Bernini ?

マルトヤイタリア.バロック美術を代表する彫刻家"Bernini/ベルニーニ"の洋書を買ってみました。

このBlogでは、時折、「美術館に行って参りました」なる記事を掲載させて頂いているのですが、実は、個人的に美術芸術に強い関心とか深い知識を有している訳ではありません。
時間があって、何となく惹かれる企画展覧会があれば、出掛けると言う程度の興味関心なんです。時々、映画館に行くみたいな感じです。

美術/芸術に関する洋書を購入するのは、久しぶりです。
購入のきっかけは、昨年12月に、偶然、Berniniの作品についてのTV番組をみたんです。
そもそも、Berniniなる彫刻家の存在すら知らなかったのですが、この企画紹介されていたBerniniの作品/"アポロとダフネ"に強烈に惹かれたんです。

彫刻には、"まったく"、関心も興味も造詣も知識もありません。

でも、Berniniの作品/"アポロとダフネ"には心が揺れました。

揺れた所以は、Berniniの超絶的な彫刻技術と天才的な芸術性だけではありません。こうした類の評価をされているからと言って、個人的な関心や心が揺れるかどうかは別のお話です。
反対に、心揺れたあと、そうした類の評価をされている彫刻家であると聞くと"やっぱりな感"を感じてしまう。
そんなものだと思います。

こちらに掲載をさせて頂いた写真は購入した洋書の裏表紙です。"アポロとダフネ"の上半身部分の写真です。

男性(アポロ)が女性(ダフネ)を追い掛けている瞬間的な情景を作品としたものです。
そもそも"アポロとダフネ"はギリシャ神話の有名な寓話のひとつのようです。

お話は...、
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ある日、神アポロは「愛の女神の息子エロス"キューピッド"が弓矢で遊んでいるのを見て、子供がそんなものをおもちゃにしてはいけない」と笑いからかいました。

エロス"キューピッド"は、その言葉に怒って、アポロの心臓には"ひとを恋い焦がれる恋慕の矢"金の矢を、河の神の娘ダフネの心臓には"ひとをひたすらに嫌いになる"鉛の矢を放ったのです。

その時から、アポロは執拗なまでにダフネを恋い慕い、ダフネは必死にアポロから逃げ回る...。

そして、ダフネは河の神である父のいる河の近くに辿り着き...、アポロの求愛から逃れるために、父である河の神に自らの姿を変える事を強く望んだのです。

「どうか、私の姿を変えて下さい!」

追いついたアポロが、ダフネに触れようとしたその瞬間、ダフネの手は木の枝に変わり、指先からは細長い葉が出てきたのです。

河の神である父は、娘ダフネの願いを聞き届けたのです。

ダフネは、アポロの眼の前で、月桂樹に変わってしまったのです。

失意のアポロは「せめて私の聖樹になって欲しい」と頼むと、ダプネは枝を揺らして月桂樹の葉をアポロの頭に落としました。
以来、アポロはダフネへの愛の証として月桂樹の枝から冠(月桂冠)をつくり、永遠に身に着けることになったのです。

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世界の始まりを物語っているギリシャ神話...、神様のお話とは思えないような寓話ですね。
このお話だけでも、結構、揺れてしまいます。

Berniniの"アポロとダフネ"は、この寓話を"そのまま"彫刻とした作品なのです。

掲載させて頂いた写真は、まさにアポロがダフネに触れ、ダフネが月桂樹に..、その姿を変えて行く、その瞬間です。

心揺れたのは、Berniniの"アポロとダフネ"のドラマスティックな美しさ...、まるで、数千年前に実際にいた"アポロとダフネ"がつくる寓話そのままを、神によって大理石とさせられたかようなのふたりの姿なのです。

神のなす業をBerniniがなしている...、そんな奇跡的な作品に、彫刻などにまったく関心がなかった私の心が揺れてしまったのです。

Berniniの"アポロとダフネ"は、ローマのボルゲーゼ美術館にあるそうです。
もちろん、しばらくの間、ローマまで行くことは出来ません。ですから、劇的なるBernini作品の写真が掲載されている美術書を捜したと言うわけなのです。

さて、購入した本なんですが..、Amazonで捜してみるとBerniniの本は和書/洋書と、数冊出ています。英語版洋書は読むのに挫折するのは見えているし、そもそも評論よりも、Bernini作品がドラマスティックに撮されているものを捜したんですが、結局、Amazonで捜す訳ですから、表紙のデザインと、他のネット情報を頼りに、こちらの本を購入するに至りました。

なかなか"今っぽい表紙デザイン"です。

しかし、掲載されている写真は、著名なフォトグラファーが撮り下ろしをしている訳でもなく、また、どうやら過去の資料的に撮られていた写真をも交ぜているようで...、いまいち感に止まりました。

TVで揺れた感動を、書籍などに追っかけるとロクなことがないので、もう捜す予定はありません。

それにしても、やっぱり、ローマに行って生Berniniをみて、心揺らしたいですね。
「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」とまで賞賛されたそうです。

購入した本をみていても、Berniniの作品は、ローマの街の中にもあるようです。
どうやらスペイン広場の近くにも"噴水"としてあるみたいです。

数十年前に、彫刻と彫刻みたいな建物ばかりのローマの街を10日近く掛けて歩き回ったことがあるのですが...、ただ、みて来た、行って来たと言うだけで、感動のひとつも憶えていません。

その頃の私は、10日近くもローマで何をしていたんでしょうね? 
"いまいち感"を感じながら、その頃のことを想い出してみることにします。

I Remember Bernini ?

"赤"、あるいは"赤"..、着物ならではの色を楽しんでみませんか?//蘇芳の紬と型絵染め帯

蘇芳と栗を染料とした小格子の手織紬二月となり、寒さ/冷たさは先の月よりも冷え込む日々が続くこともありますが、陽光には僅かな明るさが感じられるようになりました。

お着物をみる眼...、特に"着物の色"に対する見え方も、この月になると少々違った感じ方をするのではないでしょうか?
それまで感じなかった、または、あまり関心がなかった色に何となく惹かれる....、それはこれからの季節特有の陽光が色に表情を与えるようなのです。

今回の"きものと帯のあわせ"では、"赤"と言う色を基調とした"あわせ"でお話をつくってみました。

ただ"赤"なる色は、一般的には着物の色目としてはあまり"受け"の良いとは言えないようです。妙に分かりやすく、主張をしてしまう色に該当して、"無難な色"とは対局におかれがちな色とされているようです。
ただ、その類の"赤"は、そもそも"色"に表情もなく、"安っぽい赤"なのです。

こちらに掲載をさせて頂いた紬織の着物の"赤"...、"赤"と言うよりも、むしろ"赤紫"なんですが、この"赤紫"とオフホワイトが小格子をつくって、"赤"などと言ってもちょっと"いい感じ"の色となっています。

安っぽい感じもないし、野暮な雰囲気もない。
むしろ、着物としては目新しい感じがするくらいなのです。

この赤紫は蘇芳なる植物染料からつくられた赤紫で、赤としては紫の雰囲気を混ぜながら、少々落ち着いている。
この落ち着いている感じが、オフホワイトと小格子をつくることで"いい感じの赤"となっているのだと思います。

また、こうした感じの"赤"は、これからの季節の陽光に馴染みやすい色でもあるのです。仄かなる明るさを伴った陽光は、この"赤"に対して"より深み"を曝してくれるのです。
ですから、ちょっと温もりある印象の色として眼に映る傾向にあります(反対に秋の陽光では堅い印象となりがちです)。

この紬織の蘇芳から得られた"赤"は、自然を想わせる色艶の表情を保っています。陽光の加減によって、まるで"色"が生きているかの様に、その色艶の表情は移り変わりをみせるのです。
そして、自然の恵みからつくられたこの"赤"は、何よりも、ひとの肌に馴染む"色"でもあるのです。

着物に使われている"色"には、時として、着物でしか楽しむことの出来ない色...、着物ならでは色と言うものがありますね。蘇芳の赤もそんな色のひとつです。
こうした自然の恵みから得られた色を、季節に応じて楽しむ、着物ならではお話だと思います。

草木染め手織紬と型絵染め帯ここでは赤い"撫子"の型絵染めの帯とあわせてみました。

この帯...、素材は紬地で、地色の"きなり"に対して、やはり、紫色を帯びた赤色で染められています。
ほぼ赤の濃淡と地色である"きなり"だけの型絵染めです。赤い顔料で染められているため、やはり、落ち着いた"いい感じ"の"赤"です。

この型絵染めは、濃淡に染め分けられ、また、"きなり"との対比の中で、"赤い撫子"が何となく"踊っている"かのようにも見えます。絵としても..、帯としても..、趣味に豊かさみたいなものを伝えてくれると思います。

赤い紬の着物と赤い型絵染めの帯の"あわせ"です。

自然の恵みから生まれた"赤"。
着物でしか楽しむことのない"赤"。
この季節から眼に馴染む"赤"。

色の豊かさを楽しむ着物と帯の"あわせ"なのです。

これからの季節...、ちょっと意識を変えて着物を楽しんでみるのも良いのではないでしょうか?