お誂え..、染めの帯

糸目友禅染め帯..、源氏車弊店では..、染めのお着物、紬織のお着物、そして、帯。
しばしば、弊店好みのお品として誂えることがあります。

こちらに掲載をさせて頂いたお写真は..、表題に「染め帯」と掲載を致しましたが、あえて「染め帯」と書かなければ、付下なのか、染め帯なのか分からないかもしれませんね...、下絵師に下絵を描いて貰い、わざわざ誂えた染め九寸名古屋帯です。

手描き京友禅の中でも、代表的な印象の糸目友禅のお仕事が施されています。

"源氏車"と"波"が、この「絵」の主題を構成しています。

"波"は、時に"糊上げ"と言われる糸目だけで表現する染色手法で、これが細ければ細いほど手間の掛かるお仕事と評されることがあります。

"源氏車"には細かな手描き友禅が施されています。
疋田とあしらい、たちばなに菊と紅葉、松に竹と梅..。
窮屈な印象は全く感じさせない巧さと贅沢さを備えています。

先にお話をさせて頂きました「付下なのか..」「染め帯なのか..」と言うことなんですが、実は、この「絵」は、そもそも付下に染められた「絵」だったんです。
その付下も心響くくらいに綺麗だったんですが..、ここ最近、この類の糸目友禅の染め帯を手掛けてなかったので、下絵から染め帯として描き直して貰い誂えた次第なんです。

これ程の質感のある京友禅の染め帯は、特別の意識を感じさせてくれるものです...。

西陣織の袋帯や有職文様の名古屋帯で事足りる...、かもしれませんが、京都の友禅には京都の友禅でしか伝えられない雅やかな柔らかさと品位があるんです。

貴き西陣織

勝山健史 西陣織九寸名古屋帯勝山健史氏の手掛ける西陣織には、衒いとか作為みたいなものが感じられません。むしろ、平然とした感じを受けるのです。

この平然さが染織作品として、特別な空気を感じさせてくれるのかもしれません。

勝山健史氏は、19世紀末より続く西陣織の機屋の5代目にあたります。
彼は、絹織物の原点である養蚕にも関わり、塩蔵繭を通じて理想となる絹糸を制作するに至ります。しかし、それには何か新しい試みとか創造という気負いが感じられないんです。
むしろ、絹織物の原点への回帰...、これは西陣織のアイデンティティのようなものを追求することに繋がるような気がするのです。

西陣織は、そもそも、貴人の装束に供せられた織物であって、当たり前のように貴く、そして、美しい織物だったのです。
勝山健史氏の手掛ける西陣織が平然としているのは、天平の古より美意識を受け継いでいる生粋の西陣織だからかもしれません。

眠り続けているお品..、本場黄八丈

山下八百子 本場黄八丈山下八百子さんの本場黄八丈。

黄色よりも鳶色が多く織り込まれているため、黄八丈と言うよりも鳶八丈と言う印象があります(ただ、どうやら鳶八丈と言う呼称は山下家には伝わっていないようで、あくまでも黄八丈と称されているようです)。濃淡数多の鳶色をした糸を、とても細かい"綾"に織り込んでいます。
これだけ複雑に、多彩な彩色を織り込んで行くと、極端な個性が出てくる事が多いんですが、この綾織は、とても眼に馴染みやすく感じられんです。自然から得られた色と言うものは、襲ねても不思議なほど馴染んで行くと言うお話を仄聞したことがあるのですが、こうした綾織の彩色印象も、すべて八丈島に自生する植物からつくられているため、強い印象を残さないのだと思います。

この"鳶"と言う色なんですが、普段、街の中でも、あまり見掛けない色である上に、この"鳶色"と言う色自体は特別綺麗と思われる色でもない筈なのです。それにもかかわらず、山下家で染められた"鳶色"は綺麗なんです。何百年と"島"に受け継がれた色には、眼にする人の感情に響く何かを保っているのかもしれませんね。

現在、八百子さんの実子である芙美子さんが受け継いでおられます。山下家の黄・鳶・黒の黄八丈に使われる色には変わりはありません。
しかし、芙美子さんが手掛ける織物には、八百子さんの時代にはなかった印象が、時折感じられます。
伝統とは言えども、色はあくまでも"八丈島"から生まれた色であっても、織は"織人"の意識に依存しているからかもしれませんね。


この作品がお店に来たのは、八百子さんが鬼籍に入られる9ヶ月ほど前の事。
以来、ずっと弊店の棚の中に眠っていたのを殆ど忘れておりました(笑い)。

入荷すれば..、瞬く間にお客様の箪笥に収まるお品もあれば、この黄八丈のようにお店の棚の奥底にお客様との出逢いを待ち続けているお品もあるのです。

染めもの..、姿と形

玉縞江戸小紋の玉縞。玉縞は1寸に26本の縞を染めている江戸小紋を指します。反物の巾が1尺とすると、実に260本の縞が染められている事になります。 まさに職人芸です。

着物って言うと..、ちょっと綺麗な彩色をイメージする訳ですが、こうした地味な仕事にも、何百年に亘る愛好者がいたから、現在に至るまでこうした染色が残っている訳です。

江戸小紋は、伊勢型紙を生地に載せて糊付けして単彩に染め上げる。およそ3丈4尺...13mほど延々と、型を付ける作業をするんです。その中には、"無地"と見間違うほどの細かな柄模様を微塵の狂いなく型付けをします。

とても地味な仕事です。"華"や"優雅さ"などは一切感じられない。
仕事も地味だから、染め上った江戸小紋にも"華"も"優雅さ"も"派手さ"も感じられない。

でも、何百年と人を惹き付けてきたこうした"地味"な江戸小紋の魅力は、一体何処にあるんでしょうね?

江戸小紋..、無地に見えるけれども、実は無地ではない。
むしろ、無地と映るほど至極細微な柄模様を嗜好する。質実剛健な手仕事の魅力なのかもしれません。何となく江戸っぽい..、"色気"や"華"はないけれども、偽りのない職人の手仕事が張り詰めている。

そんな江戸小紋は、細かく、精巧で染められていればいるほど美しい..、要するに、無地に近くなればなるほど、凛とした礼装感を伝えてくれる様です。江戸小紋は地味であるけれども、凛とした礼装感を想わせてくれます。
それは、偽りのない職人の手仕事が美しさから生まれた空気感なんです。

ところでちょっとした余談なんですが..、偽りがなかった筈の江戸小紋の手仕事も、何時しか「道具の代替品」を使う職人が多くなって来たようです。何百年と受け継がれて来た江戸小紋ですが、その魅力はこれからどうなって行くのでしょうか?

たんなる職人のしごとなんですが..

小紋*(アスタリクマーク)のような文様が散らされているだけの小紋。

彩色が挿し込まれている訳でもない..、比較的単純な染色の仕事です。
板の上に生地を張って..、小紋の型紙で糊をおいて、染料を刷毛でひき染める。
これは板場の仕事と称される仕事で「板の上に生地をおいて染める」と言うものです。言葉で伝えれば、それほど難しいものではないんですが、それでも一つ一つ専門の職人の丁寧な手仕事が重ねられています。
小さな文様が散らされた小紋は、まだまだ数多見掛けることがありますが、こうした板場の職人が手掛けた染め物は、その中でも僅かな数しかありません。
そもそも、板場の染色に携わる"手仕事"をしている職人は数えるほどしかいないのです。
一見すると..、無地染めみたいで、単調な着物に見えるかもしれませんが、糊をおいて染められた文様は、"ほんのり"とした柔らかさが感じられるし、地色の彩色も単彩であるはずなのに"むっくり"とした質感が感じられます(写真画像をクリックして頂くと..、もう少しお分かりになるかと)。
職人の手仕事と言うものは、見た眼がたとえ複雑ではないものであっても、手を抜いている訳ではないのです(むしろ単純にみえる仕事の方が騙しが効かないので難しいとも言われることもあります)。
これは着物に携わる職人だけのお話ではないと思うのですが...、"ひと"が何かを手掛け、ものをつくる時、その手掛けた"もの"を後々他の人が見るわけです。そして、"もの"を見て"良い"とか"悪い"とか言うわけなんです。つまり、職人は"手掛けたもの"を通じて自身の仕事を"とやかく言われる"宿命にあるんです。言い方を変えると..、職人の腕が上がるのは、見たり、触れたりする人の眼だったりするとも言えるかもしれません...。
それはともかくとして..、糊おきひとつ、ひき染めひとつですが、職人がちゃんと眼をかけて手掛けたものには"職人の誇り"があると私は信じています。職人が手掛けた"もの"に何処か情緒的な空気感を感じるのは、そんな職人の感情が刷り込まれているからかもしれません。

こうしたお話なんですが..、昨日、久しぶりにこの小紋の写真を撮り直しをした時、ファインダーを覗いてみたこの小紋の質感にあらためて感心したんです。「単純な小紋だけど"非の打ち所がない"くらい綺麗だな...」なんて思ったのがこのお話のきっかけでした。

この*(アスタリクマーク)のような文様だけの小紋...、いろいろな彩色でご注文を頂いて参りました。どの彩色も、それぞれ注文以上に綺麗な彩色で、首を傾げるような彩色はひとつとしてありませんでした。

さて..、これからどれくらい先までこの職人は仕事を続けてくれるんでしょうか?