たんなる職人のしごとなんですが..

小紋*(アスタリクマーク)のような文様が散らされているだけの小紋。

彩色が挿し込まれている訳でもない..、比較的単純な染色の仕事です。
板の上に生地を張って..、小紋の型紙で糊をおいて、染料を刷毛でひき染める。
これは板場の仕事と称される仕事で「板の上に生地をおいて染める」と言うものです。言葉で伝えれば、それほど難しいものではないんですが、それでも一つ一つ専門の職人の丁寧な手仕事が重ねられています。
小さな文様が散らされた小紋は、まだまだ数多見掛けることがありますが、こうした板場の職人が手掛けた染め物は、その中でも僅かな数しかありません。
そもそも、板場の染色に携わる"手仕事"をしている職人は数えるほどしかいないのです。
一見すると..、無地染めみたいで、単調な着物に見えるかもしれませんが、糊をおいて染められた文様は、"ほんのり"とした柔らかさが感じられるし、地色の彩色も単彩であるはずなのに"むっくり"とした質感が感じられます(写真画像をクリックして頂くと..、もう少しお分かりになるかと)。
職人の手仕事と言うものは、見た眼がたとえ複雑ではないものであっても、手を抜いている訳ではないのです(むしろ単純にみえる仕事の方が騙しが効かないので難しいとも言われることもあります)。
これは着物に携わる職人だけのお話ではないと思うのですが...、"ひと"が何かを手掛け、ものをつくる時、その手掛けた"もの"を後々他の人が見るわけです。そして、"もの"を見て"良い"とか"悪い"とか言うわけなんです。つまり、職人は"手掛けたもの"を通じて自身の仕事を"とやかく言われる"宿命にあるんです。言い方を変えると..、職人の腕が上がるのは、見たり、触れたりする人の眼だったりするとも言えるかもしれません...。
それはともかくとして..、糊おきひとつ、ひき染めひとつですが、職人がちゃんと眼をかけて手掛けたものには"職人の誇り"があると私は信じています。職人が手掛けた"もの"に何処か情緒的な空気感を感じるのは、そんな職人の感情が刷り込まれているからかもしれません。

こうしたお話なんですが..、昨日、久しぶりにこの小紋の写真を撮り直しをした時、ファインダーを覗いてみたこの小紋の質感にあらためて感心したんです。「単純な小紋だけど"非の打ち所がない"くらい綺麗だな...」なんて思ったのがこのお話のきっかけでした。

この*(アスタリクマーク)のような文様だけの小紋...、いろいろな彩色でご注文を頂いて参りました。どの彩色も、それぞれ注文以上に綺麗な彩色で、首を傾げるような彩色はひとつとしてありませんでした。

さて..、これからどれくらい先までこの職人は仕事を続けてくれるんでしょうか?