芝崎圭一.草木染め絹織物<九寸名古屋帯/藍の霞>

芝崎圭一 藍九寸帯*芝崎重一/圭一染織作品のご紹介.. 

手織九寸名古屋帯
緯に"藍"の濃淡を織り込んで"霞暈かし"を表現しています。
織のアクセントとして"生皮苧糸(?)"が織り込まれて、藍霞が一層"景色"の如く感じられます。

こうした感じの織物なんですが、織り上がった作品をみると"ちょっとした感覚と技術"を持って仕事をすれば、そこそこ出来るような感じがしますが...、実際には、あまり見掛けることはありません。
緯段状に織り込まれた織物などは、見掛けることはありますが、綺麗な"霞暈かし"が織り上げられてた織物は、着物/帯を問わず..、珍しいようです。

特に、"天然藍染め"が施された"霞暈かし"の織物となると、殆ど幻的な存在かもしれません。

芝崎重一/圭一..、草木染め絹織物作品展

芝崎圭一 藍染め熨斗目*草木染め手織絹織物 芝崎重一/圭一 染織作品展

*会期:10月3日(木曜日)〜5日(土曜日)

10月3日:am11;00〜pm5;00
10月4日:am10;00〜pm5;00
10月5日:am10;00〜pm4;00

*場所:名古屋. 栄 妙香園ビル3F画廊(map)

*芝崎重一氏は、織糸の制作、天然染料にこだわった糸染め、織物制作..、一点の織物を制作する仕事の総てに関わることで、他の織物では実現できない作品性を完成させておられます。
この度の作品展では、芝崎重一氏と圭一氏の二代にわたり受け継がれている草木染め絹織物作品を展示ご紹介を致します。

出品予定品目
着物:熨斗目織 裾暈かし絵羽 無地織 絣織  
帯地:絣織九寸帯 暈かし織九寸帯

なお、芝崎作品に加えて、工芸会/国画会に所属されておられる、または縁ある染織家の帯地をご紹介展示させて頂きます。

*尚、この度の作品展は、画廊/ギャラリーにて公開作品展と言うスタイルを予定していますので、お気軽にご来会頂けます。
(但し、同業者/業界関係者のご来展、お問い合わせはお断りを致しております)


*この作品展は終了致しました。

久しぶりに見掛けました... 

00.jpgある軒先の陰におかれた瓶の中のメダカと布袋葵です。
偶然、見掛けました。

繁華街では、38度を超えような記録的に暑い一日だったんですが、瓶の中のメダカは、気持ち良さそうに泳いでいました。

メダカを最後に見たのは何時だったか忘れてしまうくらい以前のことだったと思います。

瓶とメダカと布袋葵...、ちゃんと演出された光景を偶然ながら見掛けることが出来て、ちょっと気分が良かったです。

もちろん、涼しげな感じでしたよ...。

また”つまらないもの”を買ってしまったかも..

ゴールドだけではなくて、シルバーもありました先週の日曜日に、愛知県の豊田市美術館で<フランシスベーコン展>を観て参りました。

フランシスベーコン、この画家の絵は「誰にでも、観てご覧よ..」なんて言う絵ではないんですね...、美しい風景や笑顔などまるでない。描かれているのは<人>...、薄気味悪いかもしれない、そして、作者の精神を疑ってしまうようなところが感じられる。また、ホラー的な感じも感じられない訳ではないと言う人も出てくるかもしれない...、そんな絵画ばかりです。

こうした感じの絵画は、私自身は、あまり好きではないんですが...、ベーコン死後、アジアでは始めての回顧展と言うお話でしたので、真夏の暑い日曜日、出掛けて来ました。

さて、<フランシスベーコン展>の内容なんですが、間違いなくちょっと怪奇的な作品ばかりだったんですが、眼に映る気味悪さと肌で感じる印象がちょっと違うんです。眼にしていても<嫌な感じ>がないんですね。むしろ、ちょっと惹かれるみたいな感じがするんです。頭と感情が違うものを捉えているかの様でした。

誰にでも「良かったよ」とは言えない作品性なんですが、ベーコンの主要作品そのものは、あまり観られるものではないようです。好奇心が響く方はお出掛けになったいかがでしょうか?

東京国立近代美術館では入場者が10万人を超えたそうです。


こちらに掲載をさせて頂いたのは、ミュージアムショップで衝動買いをしてしまったピンブローチです。
デザインとしては素晴らしいとは思いませんか? "ジャンコクトー"がデザインしたとのことです。
ピンブローチをデザインした訳ではないと思いますが、確かに、コクトーらしい古代ローマっぽいデザインですね。

ミュージアムショップならではの衝動買いかもしれません。



豊田市美術館なんですが、愛知県の地方都市の美術館なんですが、ある著名な建築家が設計した美術館なので、この美術館に行くだけでも十分に楽しめると思います。

八重山苧麻織の着物と花織芭蕉布帯....、真夏の着物あわせ

八重山苧麻織と芭蕉布七月も半ばを過ぎ...、名古屋では蝉時雨が響いています。
「何をしても暑い日が続く時季」なんて言われることもあるみたいです。

暑い々々を繰り返しながら、薄着になって凌いでいるよりも、盛夏の着物を着ることで感じる涼感というものあるようです....、時に言われる「夏の暑さだからこそ感じられる涼感なるもの」のひとつではないでしょうか?

この度の"着物と帯のあわせ"では、盛夏の麻織のお着物と帯をご紹介致したいと思います。

掲載をさせて頂いているお着物は、八重山諸島で織られた苧麻織物です。八重山で採られた麻より手績(う)みされた苧麻糸が織糸(緯)に使われています。
八重山上布と同じ織糸構成なんですが、糸の染色手法の違いとか織人が個人の織人であることなどの理由で、八重山上布とは違います。

南国的な綺麗なブルー色系格子織の苧麻織物なんですが、そもそも、こうした印象の格子織は、八重山上布には見られないですね。
色の加減....、ブルーの色の感じも八重山上布とはまるで違う。

この苧麻織のお着物ですが、先にお伝えをしたように、八重山上布の織人ではない個人の織人...、八重山諸島に暮らしている織人が制作した織物です。
経験的に八重山上布の癖がないために織人個人の感性が織の表情として活きてくる訳です。そして、織糸は、八重山の手績みの苧麻糸が使われているけれども、糸染めに使われる天然染料は、八重山に自生している草木に限定されている訳ではない...、色の感じが八重山上布とは違って感じられるのは染料となる草木が違うためでもあるからです。

要するに...、この苧麻織のお着物は、南国的な印象を伝えているんですが、八重山上布の印象がないのは、草木染料と織人に関係しているんです。
織人の感性によって織られた着物ですから、その土地の匂いよりも、むしろ、個性を想わせる特有の雰囲気みたいなものがある訳です。

では、盛夏の暑さに対しては、その涼感は如何なものかというお話ですが...、もちろん、手績みの苧麻糸を緯糸に織り込まれている<麻のお着物>です。絹織物や単なる麻のお着物と比べるならば、体感的な涼感は、上質な上布並に期待できる筈です。

また、この苧麻織物特有の<視覚的な涼感>...、南国を想わせるブルーと白色のコントラストは、他の織物ではみられない夏の色彩を伝えています。
どこの夏織物にもない色彩感性です。織人の色彩感性の豊かさみたいなものが、織物を通じてちゃんと表現されているんです。涼しいだけではない...、手織の着物としての...、また、草木染めの着物としての魅力が、しっかり感じられる着物なんです。



帯は、喜如嘉の芭蕉布をあわせてみました。

織人の感性が響いている着物にあわせるため、よくある感じの芭蕉布ではなくてヤシラミ織と花織が施された個性ある芭蕉布を選んでみました。

八重山苧麻織と芭蕉布当初、白絣が印象的な八重山上布の帯を載せてみたのですが、着物の色彩に被らないと言うだけで...、帯が着物の中に沈んでしまう感じが出てしまったため、個性を想わせる帯を考えてみたのです。

着物の格子織と帯の格子が重なるようでもあり...、全く違う印象を残しているようにも見える。とは言え、着物と帯、それぞれの個性が相容れないと言う訳でないんです。南国の織物と言うひとつの空気の中で馴染んでいるのかもしれませんね。

この八重山の苧麻織物の着物に対して越後の苧麻織の帯だったりすると、色彩印象の加減なのかバランス感覚が、何となく整わなかったりするんですね(むしろ、時に個人染織家の織物の帯が馴染んだりします)。

この着物と帯の"あわせ"のpointは、単純に"麻織物が伝える涼感"に止まっているではなくて、南国印象の着物と帯を楽しんでいると言う印象が際立っている...、その次ぎに、視覚的な涼感とか素材が伝える涼感を伝えているんです。

さて..、この着物と帯の"あわせ"なんですが、南国印象がpointとなっているとお話をしましたが...、南国と言っても"土臭さ"みたいなものは感じられないんですね。確かに"南国"と言う地域的な空気が色濃く感じられるのでうが"ローカル"って感じではない。

格子織とか花織が施されていたとしても"民芸的"とも違うようなのです。
着物にしても"織人"の感性が、しっかり沁みているし、帯にも個性が巧みに表現されている。
真夏の街の中でも"野暮さ"と言うものがない。

真夏の暑さは、これからまだまだ続きます。
"涼感"だけを求めるだけの"あわせ"だけではなくて、装いの感性とかセンスみたいなものがしっかり効いてる...、そんな着物や帯の"あわせ"を心掛けることで、涼感以上の美しさを真夏の着物姿に重ね感じられると思います。

世界で一番美しい...、花粉の図鑑を買ってしまいました

トケイソウって花の花粉だそうです。本屋さんに行くと特に目的がある訳ではないのですが...、何かをさがすみたいに、無意識に様々な本を眺めては、適当に時間を潰しています。 
図書館とは違って、本屋さんは、本を販売すると言う目的の下に本が並べられているので、本が魅力的に迫ってくる時があります。

こちらに掲載をさせて頂いた本は図鑑なんですが...、図鑑とタイトルが付いた本なんて、もしかすると初めての買い物かもしれません。

そもそも、最初に本屋さんで見掛けたのは「世界で一番美しい果実図鑑」って図鑑だったんです。
まず、この図鑑がやたらと綺麗で、その上、デザインも図鑑らしくないくらい行き届いている。
しばらく本屋さんで、この図鑑をみているうちに、この「世界で一番美しい****図鑑」の中に<花粉>の図鑑があることが分かったんですね。
でも、「世界で一番美しい花粉図鑑」は、その本屋さんにはなかったんです。


Amazonで調べると、Amazonには当然のようにあります。

いらないものを買ってしまうのは悪い癖です。

子供の頃は、図鑑を買うということは全くの想定外で、本と言えば漫画にしか目がなかったんですね。

<図鑑>に惹かれたんじゃなくって、<世界で一番美しい>って殺し文句と<花粉>って言葉に惹かれたんです。

<花粉>に付いて知っていることは殆どないけれど、ただ、言葉の響きとしては悪くないし、何時か何処かでお話のネタになるかもしれない程度の関心はありました。

もちろん、<花粉>に詳しい知識があったとしても、何かが変わる訳ではない...、、もしかしたら、眺め読んだその数秒後に忘れてしまうかもしれない...、暇な時の好奇心を埋めるただそれだけで終わってしまうことも分かっていたんですけれども....

図鑑を買っちゃうなんて珍しいこともあるものですこの「世界で一番美しい花粉図鑑」と言う本なんですが...、インチキっぽい図鑑なんかじゃなくって、英国王立植物園花粉学部門長とロンドン芸術大学の教授(視覚芸術化家なんて肩書きが付いていました)が著作者としてなっているちゃんとしている図鑑なのです。

要するに、植物学から<花粉>を学術的に解説を展開し、その<花粉>の図解/写真、そして、想定や編集に至る書籍そのものを視覚芸術と言う視点で構成しているんです。

この図鑑を読んでみると<花粉>って言うものが、少しだけわかってような気がするんですね。
そして、この図鑑がつくられた経緯もどうやら関わっている。

それまで<花粉>と聞けば、誰もが知っている程度の知識で満足をしていたんですが、この<図鑑>を読んでみると...、眺めてみると、<花粉>がどれだけ綺麗かを知ることが出来る。
"かたち"も綺麗なら、"色も綺麗"なんです。

<花粉>の知識よりも、この"かたち"や"色"から<花粉>に関心や好奇心が生まれることは、珍しいことではないお話ではないんですね。

そして、こんな下りがあります..

<走査顕微鏡とデジタルカメラの力で生み出された植物の細部の写真は、植物の描写と説明と言う共通の目的へ向かって植物学者と芸術家がパートナーを組んで積み重ねてきた共同作業伝統を、さらに発展させています。
デジタルの世界は、芸術と科学の共同イニシアティブを育てる豊かな土壌を提供してくれます。>

花粉? それとも惑星?また、19世紀には、既に花粉に対する専門的・集中的な研究との基礎が出来ると同時に<植物の顕微鏡的構造を見せる美術>なる分野が展開していた....、そうです。

つまり、<花粉>の視覚的な美しさと言うものは、植物学の発展に寄与しているとも言えるようなんです。

私も本屋さんで、たまたま見掛けた「世界で一番美しい果実図鑑」の<デザインの綺麗さ>に惹かれ、「花粉図鑑」を買ってしまったんですが...、私の場合は、到底、アカデミックな知識を得ることは出来ません。適当に、図鑑を捲って<花粉>の綺麗さを眺めるだけで、難しいことは忘れてしまいます。

何となく記憶に残るのは、せいぜい、視覚的な<花粉>の美しさだけでしょうか....、それにしても<綺麗な本>なんですよ。

お店の飾り本棚にでも置いて置こうかと思っています。

森の中...、白い紫陽花

紫陽花先週の日曜日、里山に早朝散歩に行って来ました。

車を停めて、ものの3分ほど里山に入って行くだけで....、里山の周りを巡っている道路の交通量は少なくはないのですが...、もう既に車の音は響い来なくなりました。

実際には耳を澄ませば、聞こえていたのかもしれません。
森の光景に意識が惹き込まれていたのだと思います。

この日、歩いた里山は、ここ数年の間に、その一部は<市民感覚的に>手が加えられてしまったんですが、まだ手が加えられていない森も残っています。

ちょっと歩き難い程度の感じは嫌いではないので、時折、この森を訪れては、適当に歩いています。

このあまり手が入っていない森は、結構、鬱蒼としています。
湿地もあり、小さな池もあり、野鳥も数多く住みかとしています。
雨が降れば、きっと靴はその日以降は、履く気になれない程汚れてしまう...、土と緑だけに覆われた起伏が激しい森なのです。

ですから、基本、綺麗な花が咲いている訳ではない筈なんですが...、ある場所だけに、紫陽花が群れるように咲いていたんですね。

実は、この日、この紫陽花を捜し見るために、この森に入ったんです。

半年ほど前、やはり、休日の早朝にこの森を歩いていて、<この場所>で枯れ朽ちていた紫陽花を見付けたんです。
誰かが種を蒔いたのかもしれません。でも、丁寧に蒔かれたと言うほどでもない...、鳥が種を落としたと言うのはちょっと話が出来過ぎている。

半年前の朽ちた紫陽花のかたちも悪くなかったので、紫陽花が咲く時季がちょっと楽しみだったんです。

森の中は、ちょっと鬱蒼とした緑に覆われています。
紫陽花は、真っ白な花を付けて咲いていました。

青紫や赤紫と言った<色>が付いている訳ではないんですが、とっても瑞々しくて、直感的に<綺麗>と感じさせる色艶をしていたんです。

いつも陽光が挿し込む訳ではない森の中でみる白い紫陽花は、その綺麗さとは別に、印象として新鮮な感じだったんです。

<白>と言う色も、<花>の色としては、既に完結しているんですね。
これから何か色を加える訳ではない、何か色が足らない訳でもない。
十分にあざやかな色としての<白>なんです。

里山と言っても、適当に鬱蒼とした森の中の紫陽花です....、あまり、見掛ける光景じゃないと思います。

休日の朝、少しだけ早く起きてみると...、ちょっとだけ感情に響く出来事に巡りあうことが出来たと言うお話でした。

生絹.綾織 九寸名古屋帯 || 織物の碩学 向井淑子.染織作品

向井淑子 綾織帯地染織家.向井淑子氏が制作する織物は、どれを眼にしても<巧みさ>みたいな完成度に息を呑んでしまうんです。

手掛けられた作品のどれも...、創造性に溢れ、織物として精巧なのです。その上、衒いのようなものを匂わせない。
感性の豊かさは確実に伝わって来るにも関わらず、<作為>とか<計らい>の類がまるで感じられないんです。

クリエイティブな印象を受ける織物であっても、向井淑子氏の作品からは、自己主張みたいなものが伝わってくることはないんです...、あたかも「ずっと以前からあった筈でしょ」みたいな感じがある。

きっと、織物のつくると言うことを知り尽くしているんだと思います。

こちらに掲載をした織物は、柿渋で染めた生絹の織帯です。
眼にしても、触れても絹織物って感じがあまりしない。
東南アジアの植物系の織糸で織られた現地の織物と言う感じなんですね。

<つくりもの感>などは一切感じられない....、染織家が制作したと知らなければ<エキゾチックな織物>と思ってしまってもおかしくない。

こうした仕事は、何処で学んでも、誰にでも出来る訳ではないと思います。

向井淑子氏は織物の碩学なんだと思います。

貴き西陣織..、雲に飛鶴/勝山健史

勝山健史/九寸名古屋帯+02.jpg勝山健史氏が制作した西陣織九寸名古屋帯。

鈍い加減の"地色"の中に"瑞雲"と"飛鶴"が織り込まれている織物。"瑞雲"も"飛鶴"も吉祥を暗示する文様です。

よくある吉祥文様の織物であっても作為的な<感じ>がまるでない。
何かに"真似ている"と言うところが感じられないですね。

これだけシンプルに"瑞雲"も"飛鶴"を織り描いていても"写している"感じさえも伝わってこない。

でも、"古いもの"に感じるような感覚がある..。
"古い記憶"に触れた時に響くような感覚が、この織物にはあるようなんです。それは感情とか感覚を惹き込んで行く不思議な空気のようなんです。

しかし、古いものに対する単純なる懐古的な匂いはない。

飾るために"古いもの"を写している訳でないようなんですね。

真摯に、織物の中に眠る"古い記憶や歴史"を、制作すること、つくり込んで行くことで探り、倣っているようなのです。

ひたすらに織り込まれた"瑞雲"と"飛鶴"には、まるで制作者自身の"祈り"みたいなものが込められているかのようです。

ちょっと"知的なスピリチュアリティ"が感じられます。
でから、吉祥文様でちょうど良かったかもしれませんね。


"着物と帯のあわせ"じゃないんですが、この西陣織をお着物とあわせてみました。

お着物は本場結城紬.無地織の"黒"です。

禁欲を想わせる"黒"と手仕事の趣を伝える真綿織の質感は、この西陣織が語りかけてくるものと、巧く馴染んでいます。

趣味だけには留まらない知的な香しさを想わせてくれる"あわせ"となりました。

(塩蔵繭/織糸.使用)

品川恭子氏の染色作品/ジャワ更紗..、染め九寸名古屋帯

+jyawa.jpg品川恭子氏の染色作品のご紹介です。
"ジャワ更紗"と銘が付けられた紬地に染め描かれた帯地です。

"ジャワ更紗"とは、そもそも、ジャワ島でつくられたろうけつ染めの布...、日本にはないエキゾチックな雰囲気を保った染めの布です。

ただ、ここに染め描かれた"ジャワ更紗"..、眼にした瞬間に"ある感情"が掴まれるような想いに捉われるんです。不思議な..、道理では割り切れない"物語"みたいなものを想ってしまう...、まるで、この画の中に"物語"が籠められているかのようなんです。
"赤"と言う色からなのか..、それとも、この"画"の姿からなのか..、エキゾチックなんて言葉を超えて、私たちが知っている時間や空間とは隔絶されたようなひとつの世界観みたいなものを感じるんです。

「似せた」「真似た」「よくある」と言う感じが一切ない。

この"ジャワ更紗"は、たった"ひとつの色"だけで描かれています。
"色"だけをみていても、とても"感情的"な感じを憶えてしまう。
その"感じ"なんですが、ちょっとした"灼熱"みたいなものかもしれません。

灼熱の赤い物語...

何処で、何を眼にしたんでしょうか..、そして、どうしたら、こんな"画"が描かるんでしょうか?