ご近所の枝垂れ桜...、曇のち雨

sakura.jpg先日このBlogでご紹介をした"枝垂れ桜"です。

あれから4日経ちました。
暖かい日が続いたため、5分から6分ほど咲き始めています。

ただ、今日の名古屋のお天気は午後から雨。

桜の写真を撮るには、晴れているよりも曇の方が、綺麗に撮れると仄聞したことがありましたので....、試してみました。

確かに、薄いベールが覆っているみたいで、幻想的なイメージとなりました。

雨が上がっても、もう少し楽しませてくれそうです。

小紋も..、名古屋帯も..、いささか欧州的? 春の"きものと帯のあわせ"

更紗小紋と名古屋帯3月も中頃となりました。
時候の挨拶的にも"春霞のただよう季節.."とか"木々の緑日ごとに色めく季節.."などの言葉が遣われる季節...、寒さ/冷たさよりも陽光の温もりを感じる季節なんですね。

さて、この季節のお着物を想うと..、そんな、冷たさ..、暖かさ..、気温や天候の加減に敏感になってしまうのではないでしょうか?

ちょっと"春めいた""明るさ"のある着物と帯を意識してしまう...、"着物と帯のあわせ"にも、季節感を取り込んで行くこと...、季節感覚を取り込むのは、当然の"装いの感覚"かと思います。

着物の色には、"季節を伝える色の傾向"みたいなものがあるようです....、と言うか、"着物と帯のあわせ"そのもので、色による季節感を暗示する訳です。
例えば、桜の時季に、桜を想わせる色を、着物とか帯の中に使えば、ちょっとした季節感を出せる訳です。


今回ご紹介をさせて頂く"あわせ"では、着物と帯の色彩印象をもって春めいた印象を表現してみました。
特に、"春限定の色"と言うものがある訳ではないのですが...、ちょっと陽気が良くなって来ると身に纏ってみたい様な"色"があると思います。

そんな"色"をbaseに"ちょっと余所行き感"ある"着物と帯のあわせ"をご紹介してみたいと思います。


更紗印象の文様が染められた小紋と欧州の紋章を想わせる文様が織り込まれた西陣織名古屋帯。

この小紋なんですが、更紗印象の文様と言っても、ありがちな東南アジアの更紗を想わせる更紗ではなくて、どちらかと言うと欧州的...、現代的と言うよりも、古代ローマ遺跡のレリーフか何かに残されていたかのような文様なのです。

もちろん、この小紋の文様が古の欧州的な文様印象を引き摺っているといっても、小紋としての染め型紙を製作された際には、"着物"の柄文様として徹底的に"つくり込まれて"いるようです。

ですから、小紋てしては少々見掛けない印象かもしれませんが、安易な"洋服っぽさ"と言うものが一切ないんですね。
着物の文様と言うか、日本の文様なるものは、お手本/見本である文様が"渡来文様=import"であったとしても...、日本の文様として採用加工される際に"つくり込み"がされる様なのです。日本の風土や慣習...、日本の"色"に馴染むのは、こうした"つくり込み"がされているからのなのです。

ところで、そもそも渡来文様である名物裂文様などは、それらの典型なんですが...、渡来文様なる文様は、いつもちょっと"余所々々しい感じ"があるようです。名物裂文様などは、そもそも趣味趣向が興じた文様であるにも関わらず、いま想えば、"ひとつ上感覚"を感じてしまう筈です。

こちらでご紹介をさせて頂いた欧州っぽい更紗文様にもちょっと余所行き的な"綺麗さ"があります。"綺麗さ"と言っても"色"の綺麗さではなくて、"文様の綺麗さ"なんです。渡来文様をちゃんと"小紋の柄模様"に"つくり込んで"いるから綺麗に感じられる...、いい加減さみたいなものがまるでない。小紋と言えども、街着的な感じではないんですね。


更紗小紋と名古屋帯そこで...、やはり、欧州の紋章を想わせる西陣織をあわせてみた訳です。

そもそも、西陣織は、大陸や東南アジアからもたらされた文様を手本/見本として文様文化を育んで来た織物でもあるのです。むしろ洗練された西陣織には、異国の香りがするものは少なくありません。

この名古屋帯ですが、欧州的な文様デザインに想わせるんですが、よく見ると"菊の家紋"のような文様が、まるで違和感なく織り込まれています。
この帯地文様の出典が、日本の文様ではないとしても...、この"菊の家紋"のような文様をも、手本/見本とされたオリジナルの文様にも入れられていたとしても...、この帯地そのものから伝わる存在感は、和服を意識した存在感なんです。

西陣の制作者が、しっかり"西陣織としてつくり込んで"いるから欧州的な文様であっても、西陣の香りがする。菊の文様も十字文様もとても良いバランスが保たれています。

春の"色"を..、ご紹介しようと思い書き始めたんですが、なんとなく"渡来文様"のお話になってしまいました...。

こちらの小紋には、ラベンダー系の彩色とライトグレー色が巧く文様と地色に染め込まれています。
こうした色なんですが、やはり"春"にお召しになると、春と言う色を着物で表現出来てしまうと思います。

春、この季節に、こうした"綺麗な小紋"を薄色の帯と"あわせ"ることで、時季を暗示させるのです。

"桜"や"藤の花"のように何月何日頃から何日まで、と言うものではありません。
陽光の加減..、ひとが感じる"陽光の感じ"、そして、その陽光に映る着物の色/帯の色が想わせる印象を、季節感として"あわせ"てみました。

小紋と言えども、ちょっと"余所行き気分"の"着物と帯のあわせ"です。
"綺麗な感じ"...、染めのふわっとした柔らかい感じと綺麗な彩色、そして、少々華のあるdressyな更紗文様の着物だからです。帯も、やはり薄色で、ちょっと余所行き的に遊んでいる感があります。

TPOとしては...

*ギャラリー/画廊などでの催し。
*美術館/博物館などの展覧会。
*オペラ/クラシック、歌舞伎などの舞台鑑賞。
*お堅いドレスコード未満の宴/お食事会

おおよそこうした席がTPOとして、良いのかも知れませんが...、夕刻/夜のお出掛けよりもお昼頃からのお出掛けにお召し頂きたい"着物と帯のあわせ"です。

ご近所の桜/枝垂れ桜、まだまだ蕾ですが

まだ蕾のようですが、あと数日もするとお店から歩いてすぐの交差点(とても交通量の多い交差点なんですが)に枝垂れ桜が植えられています。

この枝垂れ桜は、植えられた翌年(10年くらい前かな)から少しずつ花を付けるようになって、今では街の中では珍しいほど綺麗な枝垂れ桜となりました。

ただ、この枝垂れ桜は、少々気が早いらしく、名古屋の桜の開花情報が出る2週間ほど早く花を咲かせます。

実は、この枝垂れ桜なんですが、この交差点に植えられたのは....、この桜のある場所から通りを挟んだところにお寺があって、そのお寺から伸び出している染井吉野の桜が際立つほど立派だったんです。そこで、この交差点にもう一つ桜をと目論みがあって植えられたようなのです。

ただ、この枝垂れ桜が、いつも早く花を付けてしまうので、お寺の桜が咲く頃には、葉桜になっている...、思惑通りには行かなかったようです。

さて、この写真は"今日の桜"です。
まだ蕾ですが...、もう咲きかけている花もありました。

もう桜の季節なんですね...


*最寄りの地下鉄の駅から5分以内にお店はあるんですが、地下から上がると方向感覚がずれてしまい、駅とお店の位置関係が分からなくなると言われることがあります。
この枝垂れ桜なんですが、ご案内している駅の出口から見えるんですね。一年中咲いていてくれると「桜の咲いている交差点」なんてお伝えをすることが出来るんですが...。

そろそろ..、春の気分 || 季節の染帯

春の花籠春の草花を主題とした「花籠」の染め帯を誂えてみました。

彩色を控えながらも、やたらと存在感があります。

賑やかな彩色を施して、彩色のコントラストを高めると「見た眼」にあざやかっぽくて、分かりやすい印象となるのですが...、暫く眼にしていると"飽き"が来やすい傾向にあります。

彩色を控えて、友禅だけで「画」を染め描くのは、何より上手でなくては出来ない仕事。
花びらあたりに...、ちょっとだけ彩色を施し、色付け程度に刺繍を入れる。それで「画」としてまとめ上げている。"もの足らない"なんて感じはなくって、実に綺麗に整い揃えられています。

"存在感"があると言っても、何もあえて難しいことをしている訳ではありません。衒いや作為なく、綺麗な仕事、丁寧な仕事を、いとも単純に重ねているだけのことです。

「花籠」は友禅では珍しい図案ではありません。
何処にでもある図案であって、やはり、それなりに季節を表現しているかもしれません。

でも、この「花籠」はちょっと違うようなのです。
この「花籠」が伝える「季節の空気感」は、単純に高貴で、そして、麗しい...。

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この「花籠」ですが、およそ7-8年前にも誂えたんです。
以前の「画」は「秋の花籠」だったんですが、今回は「春の花籠」。
下絵は、その時と違う職人でしたが、染色を手掛けた職人は以前と同じ職人にお願いしました。
すると、ちゃんと憶えているんですね。
以前の「花籠」は、"あそこにはこんな加工"、そして"ここにはこんな加工"と...、どんな加工を施してたかを語っていたそうです。

自分が手掛けた仕事をちゃんと憶えていると言うのは、真摯な仕事をしているならば、至極当たり前かもしれませんが、やっぱり、単純に良いお話かと思いますね。

「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」..、I Remember Bernini ?

マルトヤイタリア.バロック美術を代表する彫刻家"Bernini/ベルニーニ"の洋書を買ってみました。

このBlogでは、時折、「美術館に行って参りました」なる記事を掲載させて頂いているのですが、実は、個人的に美術芸術に強い関心とか深い知識を有している訳ではありません。
時間があって、何となく惹かれる企画展覧会があれば、出掛けると言う程度の興味関心なんです。時々、映画館に行くみたいな感じです。

美術/芸術に関する洋書を購入するのは、久しぶりです。
購入のきっかけは、昨年12月に、偶然、Berniniの作品についてのTV番組をみたんです。
そもそも、Berniniなる彫刻家の存在すら知らなかったのですが、この企画紹介されていたBerniniの作品/"アポロとダフネ"に強烈に惹かれたんです。

彫刻には、"まったく"、関心も興味も造詣も知識もありません。

でも、Berniniの作品/"アポロとダフネ"には心が揺れました。

揺れた所以は、Berniniの超絶的な彫刻技術と天才的な芸術性だけではありません。こうした類の評価をされているからと言って、個人的な関心や心が揺れるかどうかは別のお話です。
反対に、心揺れたあと、そうした類の評価をされている彫刻家であると聞くと"やっぱりな感"を感じてしまう。
そんなものだと思います。

こちらに掲載をさせて頂いた写真は購入した洋書の裏表紙です。"アポロとダフネ"の上半身部分の写真です。

男性(アポロ)が女性(ダフネ)を追い掛けている瞬間的な情景を作品としたものです。
そもそも"アポロとダフネ"はギリシャ神話の有名な寓話のひとつのようです。

お話は...、
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ある日、神アポロは「愛の女神の息子エロス"キューピッド"が弓矢で遊んでいるのを見て、子供がそんなものをおもちゃにしてはいけない」と笑いからかいました。

エロス"キューピッド"は、その言葉に怒って、アポロの心臓には"ひとを恋い焦がれる恋慕の矢"金の矢を、河の神の娘ダフネの心臓には"ひとをひたすらに嫌いになる"鉛の矢を放ったのです。

その時から、アポロは執拗なまでにダフネを恋い慕い、ダフネは必死にアポロから逃げ回る...。

そして、ダフネは河の神である父のいる河の近くに辿り着き...、アポロの求愛から逃れるために、父である河の神に自らの姿を変える事を強く望んだのです。

「どうか、私の姿を変えて下さい!」

追いついたアポロが、ダフネに触れようとしたその瞬間、ダフネの手は木の枝に変わり、指先からは細長い葉が出てきたのです。

河の神である父は、娘ダフネの願いを聞き届けたのです。

ダフネは、アポロの眼の前で、月桂樹に変わってしまったのです。

失意のアポロは「せめて私の聖樹になって欲しい」と頼むと、ダプネは枝を揺らして月桂樹の葉をアポロの頭に落としました。
以来、アポロはダフネへの愛の証として月桂樹の枝から冠(月桂冠)をつくり、永遠に身に着けることになったのです。

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世界の始まりを物語っているギリシャ神話...、神様のお話とは思えないような寓話ですね。
このお話だけでも、結構、揺れてしまいます。

Berniniの"アポロとダフネ"は、この寓話を"そのまま"彫刻とした作品なのです。

掲載させて頂いた写真は、まさにアポロがダフネに触れ、ダフネが月桂樹に..、その姿を変えて行く、その瞬間です。

心揺れたのは、Berniniの"アポロとダフネ"のドラマスティックな美しさ...、まるで、数千年前に実際にいた"アポロとダフネ"がつくる寓話そのままを、神によって大理石とさせられたかようなのふたりの姿なのです。

神のなす業をBerniniがなしている...、そんな奇跡的な作品に、彫刻などにまったく関心がなかった私の心が揺れてしまったのです。

Berniniの"アポロとダフネ"は、ローマのボルゲーゼ美術館にあるそうです。
もちろん、しばらくの間、ローマまで行くことは出来ません。ですから、劇的なるBernini作品の写真が掲載されている美術書を捜したと言うわけなのです。

さて、購入した本なんですが..、Amazonで捜してみるとBerniniの本は和書/洋書と、数冊出ています。英語版洋書は読むのに挫折するのは見えているし、そもそも評論よりも、Bernini作品がドラマスティックに撮されているものを捜したんですが、結局、Amazonで捜す訳ですから、表紙のデザインと、他のネット情報を頼りに、こちらの本を購入するに至りました。

なかなか"今っぽい表紙デザイン"です。

しかし、掲載されている写真は、著名なフォトグラファーが撮り下ろしをしている訳でもなく、また、どうやら過去の資料的に撮られていた写真をも交ぜているようで...、いまいち感に止まりました。

TVで揺れた感動を、書籍などに追っかけるとロクなことがないので、もう捜す予定はありません。

それにしても、やっぱり、ローマに行って生Berniniをみて、心揺らしたいですね。
「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」とまで賞賛されたそうです。

購入した本をみていても、Berniniの作品は、ローマの街の中にもあるようです。
どうやらスペイン広場の近くにも"噴水"としてあるみたいです。

数十年前に、彫刻と彫刻みたいな建物ばかりのローマの街を10日近く掛けて歩き回ったことがあるのですが...、ただ、みて来た、行って来たと言うだけで、感動のひとつも憶えていません。

その頃の私は、10日近くもローマで何をしていたんでしょうね? 
"いまいち感"を感じながら、その頃のことを想い出してみることにします。

I Remember Bernini ?

"赤"、あるいは"赤"..、着物ならではの色を楽しんでみませんか?//蘇芳の紬と型絵染め帯

蘇芳と栗を染料とした小格子の手織紬二月となり、寒さ/冷たさは先の月よりも冷え込む日々が続くこともありますが、陽光には僅かな明るさが感じられるようになりました。

お着物をみる眼...、特に"着物の色"に対する見え方も、この月になると少々違った感じ方をするのではないでしょうか?
それまで感じなかった、または、あまり関心がなかった色に何となく惹かれる....、それはこれからの季節特有の陽光が色に表情を与えるようなのです。

今回の"きものと帯のあわせ"では、"赤"と言う色を基調とした"あわせ"でお話をつくってみました。

ただ"赤"なる色は、一般的には着物の色目としてはあまり"受け"の良いとは言えないようです。妙に分かりやすく、主張をしてしまう色に該当して、"無難な色"とは対局におかれがちな色とされているようです。
ただ、その類の"赤"は、そもそも"色"に表情もなく、"安っぽい赤"なのです。

こちらに掲載をさせて頂いた紬織の着物の"赤"...、"赤"と言うよりも、むしろ"赤紫"なんですが、この"赤紫"とオフホワイトが小格子をつくって、"赤"などと言ってもちょっと"いい感じ"の色となっています。

安っぽい感じもないし、野暮な雰囲気もない。
むしろ、着物としては目新しい感じがするくらいなのです。

この赤紫は蘇芳なる植物染料からつくられた赤紫で、赤としては紫の雰囲気を混ぜながら、少々落ち着いている。
この落ち着いている感じが、オフホワイトと小格子をつくることで"いい感じの赤"となっているのだと思います。

また、こうした感じの"赤"は、これからの季節の陽光に馴染みやすい色でもあるのです。仄かなる明るさを伴った陽光は、この"赤"に対して"より深み"を曝してくれるのです。
ですから、ちょっと温もりある印象の色として眼に映る傾向にあります(反対に秋の陽光では堅い印象となりがちです)。

この紬織の蘇芳から得られた"赤"は、自然を想わせる色艶の表情を保っています。陽光の加減によって、まるで"色"が生きているかの様に、その色艶の表情は移り変わりをみせるのです。
そして、自然の恵みからつくられたこの"赤"は、何よりも、ひとの肌に馴染む"色"でもあるのです。

着物に使われている"色"には、時として、着物でしか楽しむことの出来ない色...、着物ならでは色と言うものがありますね。蘇芳の赤もそんな色のひとつです。
こうした自然の恵みから得られた色を、季節に応じて楽しむ、着物ならではお話だと思います。

草木染め手織紬と型絵染め帯ここでは赤い"撫子"の型絵染めの帯とあわせてみました。

この帯...、素材は紬地で、地色の"きなり"に対して、やはり、紫色を帯びた赤色で染められています。
ほぼ赤の濃淡と地色である"きなり"だけの型絵染めです。赤い顔料で染められているため、やはり、落ち着いた"いい感じ"の"赤"です。

この型絵染めは、濃淡に染め分けられ、また、"きなり"との対比の中で、"赤い撫子"が何となく"踊っている"かのようにも見えます。絵としても..、帯としても..、趣味に豊かさみたいなものを伝えてくれると思います。

赤い紬の着物と赤い型絵染めの帯の"あわせ"です。

自然の恵みから生まれた"赤"。
着物でしか楽しむことのない"赤"。
この季節から眼に馴染む"赤"。

色の豊かさを楽しむ着物と帯の"あわせ"なのです。

これからの季節...、ちょっと意識を変えて着物を楽しんでみるのも良いのではないでしょうか?

おそらくは..、"椿"と言う"一枚の絵"なのです。

福島輝子 椿"型絵染め"なるものは、描かれた絵を一枚の型紙に託し染め上げる染色手法。
型紙より染め描かれた"絵"には、文字通り"絵画"を想わせる空気感が伝わることがあります。


こちらにて掲載をさせて頂いた型絵染めには"椿"なる主題が付けられています。

制作者は"椿"を染め描いているのだと思います。
また、この型絵染めを眼にすると、誰もが"椿の花"と印象を重ねることと思います。

しかし、じっと眼にしていると...、この型絵に染め描かれた"椿"は、私たちの見知っている"椿の花"から離れて行き、現実とはまるでかけ離れた"印象"に誘って行くようなのです。
眼にしているのは、印象の中にあるのは、"椿"と名付けられた"絵"であって...、その"絵"の持つ圧倒的な存在感に心奪われるのです。
制作者の想い感じた"椿"の"姿""かたち""色"が、同時に染め描かれることで、こうした印象に浸ってしまうのかもしれません。

もはや、"絵画"としての存在感を思わせる作品です。

国画会染色家:福島輝子作品

時々、聴きたくなることがあります..

roberta.jpg昨年のロンドンオリンピックの開幕式でポール・マッカートニーが"Hey Jude"を歌っていましたね。
あれから何となく"Hey Judeが聴きたいな"なんて悪戯程度に思っていました。

私のお好み的なお話なんですが..、私は、特に、ビートルズが好きな訳ではありません。
最初に聴いた洋楽のアルバムはビートルズの"Let it be"ではあったのですが...、いま所有しているCDの中にビートルズのアルバムがあったかどうかも記憶に不安な程度なのです。
しかし、ビートルズの楽曲には、時折、無性に聴きたくなる楽曲が私の中にあるようなのです。

ロンドンオリンピックのポール・マッカートニーが歌う"Hey Judeを聴いて..、と言うか観て以来、暇がある時には、頭の中で"Hey Jude..、Hey Jude..、Hey Jude.."。
至極軽い耳鳴りが続いているように...、"Hey Jude..、Hey Jude..、Hey Jude.."。

ビートルズの"Hey Jude"をそのまま聴いても何となく違うような気分..、耳鳴りが止まるような感じではなかったのです。

Amazonで"Hey Jude"のカヴァーを捜してみることにしました。
ポール・マッカートニーの歌声は嫌いでもないし、"Hey Jude"のイメージは彼の声が重なって印象に残っているのですが...、あえて、違う"Hey Jude"を捜してみたんです。

ロバータ・フラック(Roberta Flack)..、アメリカの女性シンガーソングライター。
彼女が昨年(2012年)に"Let it be"なるタイトルでビートルズのカヴァーアルバムを出していました。

"Hey Jude"は3曲目...、ロバータ・フラックは、Soul/Jazzを歌い上げるシンガーです。
ロバータ・フラックのアルバム"Let it be"は、どれもロバータ・フラックの"歌"であるかのようなまでに、歌い込まれていて...、彼女の歌う"Hey Jude"も、そもそも、Soul musicだったの?と言うくらいの濃い雰囲気が漂っているような感じなのです。

実は、私は女性ヴォーカルの声があまり得手ではないのです...、また、特にSoulfulな"Hey Jude"を求めていた訳ではないのですが...、耳鳴りのように響いていた"Hey Jude"は、もう響かなくなりました。

今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます..。

青いターバンが印象的ですね1月7日月曜日.本日より仕事始めとさせて頂きます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

さて、Blogに掲載をさせて頂いた絵画ですが...、ご存じ"ヨハネス・フェルメール"が描いた最も有名な作品"真珠の耳飾りの少女"です。

新年早々出掛けたのが「マウリッツハイス美術館展」...、レンブラント、ルーベンス、ヤン・ブリューゲルなどの17世紀のオランダ美術を代表する画家の作品が展示されていたのですが、結局は、フェルメールの"真珠の耳飾りの少女"の展覧会みたいなものでした。

私自身、特に、この"真珠の耳飾りの少女"に執心していた訳ではないのですが..、どうやら世界でも指折りの名画と讃えられている作品です。それが日本で観られると言うことなので、とりあえずは...、と言うことでお年始早々出掛けてみたんです。

"真珠の耳飾りの少女"ですが..、噂に違わぬ名画ではありましたね。好きか嫌いか..、訳を問わず..、とても素敵な雰囲気を感じさせてくれた絵画でした。

名画とされる理由は、TV/書籍で解説されている通りだと思います。
私も..、うっすらとなんですが以前にTVで解説されていた内容を憶えていたので、記憶をなぞるように観てみると"なるほど感"を得ることが出来ました。

私個人としては(あまりイカさない視点かもしれませんが)、以前から、この"見返り加減"がとても感じがいいと思っていました。この"見返り加減"は、とても柔らかくて、自然な感じがして(芸術性とかとは別の次元のお話ですが)、ポートレイトのお手本のようにも感じていたんです。

本物の"真珠の耳飾りの少女"は、これまでみてきた写真とは、全く違うくらいに自然な雰囲気で見返っていました。

観ていて想ったんですが..、17世紀は日本では江戸時代の初期になるようですが、その頃のオランダに、この絵画のモデルとなった少女がいて、見返った姿を画家にみせたのだと..。実際には、どうやら、画家が「見返った姿勢」をそのまま描いたのではなくて..、画家のイマジネーションが相俟って描かれた姿であるようです。

でも、"本当に額の中で見返っている"って錯覚するほどに自然な感じがするのです。
これがフェルメールの卓絶した巧さってものかもしれません。

この絵画が描かれておよそ350年間、ずっと見返ったままの姿を保っている訳です。

古い絵画によくある..、時代を感じさせる女性像と言う雰囲気もないし、現代に近い女性の雰囲気とも違う。
背景が黒く描き潰されている分だけ、少女の表情そのものがよく伝わって来るようです。

この少女にとって、ありふれた"見返り"だったのかもしれません。本人の記憶にさえ残らない姿勢だったのかもしれません。でも、画家が捉えた彼女の"ありふれた見返り"は、"真珠の耳飾りの少女"となった..。

巨匠レンブラントやルーベンスにはない空気感の絵画です。
フェルメールの希少性や人気だけだけではない絵画そのものの魅力を感じることが出来ました。

私自身、多分、二度とこの見返った姿を観る機会は巡って来ないと思います。

新年明けて一番のお出掛けとしては、良いものを眼にすることが出来てご機嫌な気分になりました。
よかった...。

良いお年をお迎え下さいませ..

寒椿今年も残りわずかとなりました。
12月は例年になく寒い日が続いた様に思います。

お店にご来店されるお客様も12月になってからは「今年は寒いですね..」などとお話をされる方が多いように思います。

着物専門店としてお客様をお迎えしていると、こうした冬ならば寒さについての装い..、真綿の織物に羽織/コート。新年を迎える時季となれば、新春を想わせる染帯など..、季節や時季折々の着物/帯、装いのお話となることがあります。
その時季を想わせる装いを想い巡らせる...、和服ならでは趣向かと思います。

さて、こちらの写真画像は椿の花...、寒椿です。街路樹として植えられていたものです。葉の間に隠れるように、咲き始めていました。
鉛色の空が一日を覆っていたような日の夕方近くでしたので、この寒椿の姿と色彩をみていると僅かな間ですが寒さを忘れさせてくれるような想いがしました。

今年一年、このBlogのご愛顧を頂きまして有難うございました。
また、来年もよろしくお願い致します。